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年末に思う。(あるいは、何者にもなれなかった2022年の私について)

2022年が終わる。厳密にはあと4日と12時間9分と、あと29秒で終わる。
今この文章を、無印でもう何年も前に買った布団の上でアメスピを吹かしながら書いている。立派な社会不適合者である。まぁ昔から社会不適合者くらいしか文章なんて書かないだろうけど。
そう言えば文章を書き始めたのだって、友達がいない田舎の高校時代に太宰を読んでからだった。

今年の正月のことは今でも鮮明に思い出せる。

今年の正月、私はTinderで会ったロクでもない男と三軒茶屋のロクでもない居酒屋で飲んで、そのままロクでもない男のロクでもない家に行って酒を飲んで、二日酔いでゲロを吐いてつまらない正月特番を見ていた。あまりにつまらなかった。私が代わりに作ったほうが確実に面白いものが作れると思った。腕枕をしてくれた男の腕にはタトゥーが入っていた。
そこで私は書き初めをした。三軒茶屋のロクでもない家に住んでいるロクでもない男の家にお習字セットなんかあるわけないから、男と私が吸ったアメスピの灰(銘柄が同じだから寝たみたいなところはある)を水に溶いた薄くて汚い水で、男のリリックノートをちぎって指で書き初めをした。
「何者かになる」吸殻水は全然薄くて読めなかったけど、書き初めは書くことに意味があるのだ。

それで、今年、私は何者かになろうともがいていた。

ヒップホップが好きだったからサイファーをやってみた。トラックも作ってみた。DJもやってみた。界隈の友達が結構増えたし、BATICAやSolfaに何回も呼ばれて行った。
文章も好きだったからライターをやってみた。毎週一本はnoteを書こうと決めた。友達がやってるZINEに寄稿した。また別の音楽系のwebメディアにも寄稿した。界隈の友達が結構増えたし、憧れのオモコロライターとも個人的に繋がることができた。
あとは知り合いの美術展手伝ったりとか、M-1の評論とかもやったし、ポッドキャストもやったし、Youtubeもチャンネル作ったし、Tシャツも作ったし、

それで私は、今年も何者にもなれなかった。

何者が何なのかも分かっていなかった。目的地のない旅はただの自殺的放浪と同じだった。旅の過程を楽しむ余裕もなかった。何かをしているときは楽しくて未来のことなんて考えずに済むけど、打ち上げの安い居酒屋のトイレで床に散らばった何かしらの液体を避けて冷たい便座に座った途端に、私何してるんだろう、こんなことしてて何になるんだろうと急に泣きたくなった。それで三軒茶屋のロクでもない男に今日もLINEしてしまう。
早く何者かでありたい。何者でもない不安から逃れたい。早く誰かから承認して安心したい。
昔は勉強ができたからいつも褒められていた。早稲田落ちで明治に進学した。私はここで何者かになれるだろうと信じていた。勉強に関する自信がいつの日か、自分の全般に対する自信に変質していたらしかった。
でも実のところ、私はただちょっと勉強ができるだけの子だった。

何をしたらいいのかは分からないけど、何もしていないのは不安で仕方がない。何かをしている以上は何かの成果を出さないと恥ずかしいけど何も出ない。もうやめたいけどやめたら私の人生の無価値を私自身に見せつけることになるから怖くてできたい。もうやりたいことも書きたいこともない。このnoteもどこに着地するのか分からない。勉強ばかりさせてきたくせにいきなり他に好きなことを探してくださ〜いって言われても無理に決まってる。社会が悪い。先生が悪い。お母さんが悪い。ウエストランドみたいなのがウケる時代が悪い。タワマン文学なんか出す出版社が悪い。

私は悪くない!

来年で36になる。
どうせ正月特番はつまらないだろう。知り合いのフジテレビのチーフプロデューサーに私に手伝わせろと連絡したけど、未読のまま返ってこない。


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