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最近思うこと

40才代後半に「今の自分のキャリア、スキル、人格で、20代の自分にタイムスリップしたらどうなるだろう?」と考えたことがあった。

これを想像していたときは「若いのに(仕事ができて)すごいね」と思われたかった。

しかし、今現在はそこに価値を見出していない。

現在の私は50代だが、新しい職場に変わり、20代の時のように、新しい仕事へ挑戦し、覚えなければならない事や人間関係の構築もしなければならない。

それは、とても大変と感じる事だと思うが、実際には、自分が想像するよりも意外と順調に対応できている。

どうしてなのかと考えてみると、これまで仕事、遊び、趣味など、やりたい事をやってきた経験が生かされているように思う。

未経験のことでも、経験を生かして対応できていることの方が、人から評価を受けるより楽しく、価値があるのだと思う。


▼「若い世代の人の話しを聴いてあげたい」
最近、若い世代の人と話していると、経験不足などにより充分に仕事ができないことへのあせりを感じているように思える。

そんな若者に出逢った時には、話を聴き、「あせらなくて大丈夫なんだよ」と言ってあげたいのだが…。

もしかしたら、焦りを感じる人の周りには「聴いてあげる人」がいないのかもしれない。

その人もその親の世代も、それぞれの「やらなければならないこと」と「やりたいこと」に忙しく、人の話しを聴く余裕がないのではとも思う。

私の娘も仕事、子育て、語学など「やらなければならないこと」と「やりたいこと」が山ほどあり、「時間がない!」と嘆いている。子育てにも疲れ、自分の子供の話しを聴く余裕もない。


私の望みは、「ばあば」として娘の代わりに孫の話しを聴き、「母」として娘が「やりたいこと」ができる環境を整える事であり、これが自分のなりたい姿であり、私の存在意義と思う。

自分がそうなりたいと思えるのは実の母と義母の影響も大きい。

二人とも自らの役割をしっかりと果たし、その姿を私に見せてくれた。
今度は自分が役割を果たして娘に姿を見せる番だと思う。


▼コミュニケーションの巧拙
最近、若い人と続けてコミュニケーションをとる機会があり、コミュニケーションの上手な人とそうでない人の違いを感じることがある。
コミュニケーションが上手な人は初対面であったとしても「スッと入ってくる」。「スッと入ってくる」を言い換えると、「嫌味がない」「圧がない」「欲がない」。
例えば、「時間内に話しを終わらせよう」とか「『この話しの目的は○○だから』と逸れた話を目的に合ったものに強引に戻そうとすると、それが相手に伝わり、違和感を感じる。

聴き手が、そのような「欲」を持っていると、それを瞬時に察して、その人のコミュニケーションに違和感を感じてしまう。


もっとも、若い世代でもコミュニケーションが上手だと感じさせられる人は実際にいるので、コミュニケーションが上手かどうかは年齢の問題ではない。

コロナ禍という時代を経験したからこそ、自分の意識が大きく変化し、変わらないもの、大切に引き継いでいかなればならないものが、見えてきたように感じる。


この感覚を大切にしていきたい。

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