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星の子と巡る世界で(2023-12-15)

※こちらの記事は、自称書庫番(@tosyonoko)様の
【非公式企画】skyアドカレ2023に参加させて頂くにあたり作成しました。

2023年の終わりに星の子とskyに思い馳せる機会を頂き、心から感謝申し上げます。

2021年6月の末、Nintendo Switch版配信の日から星の子とskyの世界を旅して早2年と数カ月が過ぎました。
時を経るにつれ、特に強く思い入れを抱くものも沢山生まれました。
今回は思い出のお話も交えながら、skyの世界の「好きなもの」について文章を綴っていきたいと思います。

普段長文を書かない人間のためお見苦しい点もあるかとは存じますが、ほんの少しでも拝読頂いた方の読了感になれていたら幸いです。



旅の始まり

skyの存在を知ったのがいつ頃だったか、はっきりと覚えていません。
その時二次創作のメインジャンルだったオンラインゲーム、同ジャンルを扱うアカウント様の間で話題になっているのを目にし、偶然どなたかが投稿されていたskyのスクショに
「なんて美しい!!」
と感動したことが、skyへの憧れの始まりでした。

私はskyの世界に憧れてやってきた、始めた理由としてはわりと珍しいタイプの人間なのかもしれません。
憧れたは良いものの、当時skyが対応していたiPhoneやAndroidを持っていなかった身。周りの方々がskyを始めている様子を羨ましく思いながら見ていました。
そして芽生えた一縷の希望。
「ゲーム機で配信されたらプレイできるかもしれない」
最新のものは持っていなかったけれど、いつか購入したい気持ちはありました。剣盾やりたかったし。

当時Twitterのsky公式アカウントでSwitch版配信の計画がある事を見て知ってからは、今か今かと逸る気持ちを抑えながら配信日が決定するのを待つ日々。
コロナ禍の影響で配信の延期が告知されてからも、いつか訪れるその時を待ち続け…切々待ち続け。
時々ハンカチを噛み「早くやりたい」と呟いたりもしながら。

品薄だったSwitch本体も、やっと入荷が落ち着いてきた頃になんとかゲットして使い方にも慣れてきた頃…。
とうとう2021年6月30日の午前4時、憧れ続けた世界で
私は一人の星の子と出会い、手を繋いで、2年と少し経った今も離さずその手を握り続けています。

「この子が私の星の子…」
私の代わりにこの世界を旅してくれる子。
あの時のジーンとした気持ちは今も忘れません。
私の代わりに世界を歩き、風を頬に受け、傷ついたり、私には嗅げない向こうの世界の花や太陽の匂いを感じて生きていく子。
それからはその星の子と、二人三脚のように一緒にのんびり楽しく旅を続けています。
優しい交流や縁にも恵まれ、幸せを自分の分と星の子の分、二倍感じながら。



蝶たちが花瓶に差した花に集まってきている

skyの世界に来て最初の頃、私はあまり積極的に他の星の子との交流を行わなかったように思います。
現実世界でもゲームの世界でも、幼い頃から誰かと居ると
「何か楽しい事をしないといけない」
という、妙な緊張感を抱いてしまう性格が影響していました。
一緒にいて相手を退屈させてしまっているのではないかと勘繰って、やたらにおどけようとしたり、何かをして喜ばせないとという焦りにかられたり。

「ただ其処に居るだけでは許してもらえない」
現実でもゲームでも、そう考えていたように思います。

そんなわけで私たちに初めてのフレンドができたのは、最初の転生を終えてからもう少し後でした。
(星の子はきっと、もっと他の星の子たちと触れ合いたかったと思います。
彼らは互いに助け合う存在、私のせいで寂しい思いをさせてしまいました)

星の子同士が手を繋いだり、大きな呼びかけをしたり、キャンドルを近づけたり、傍に立っていたり…。
星の子同士協力するとエナジーが回復するという事を知らなかった私は
最初の頃、道中でのエナジー回復を雲・光の生き物・光の子・道端のキャンドル・火鉢や灯篭の火などに頼って進んでいました。
もしかしたら、こちらが把握していないだけで通りすがりの星の子がエナジーを回復してくださった折もあったのかもしれません…。


回復の術の中で特に心と体を引き寄せられていたのは光の生き物の蝶と、火鉢の火でした。特に蝶には、その存在を知ってから随分長い間私と星の子を支えて貰っているような気がします。
振り返ってみると、過去に描いたskyイラストの中で2番目に描いたイラストの中に既に蝶を描いていました。
3番目のイラストでは、蝶がエナジーを回復してくれることを意識していたようです。
随分遠くまで来て時間も随分経った気でいましたが、最初の頃から好きなものは変わっていないようで、なんだか不思議なものですね。
何もかも変われる世界で、けれど変わらずにいるのは、無意識にもそこに守り続けたい何かがあるからなのかもしれません。


蝶たちがきらきらと閃きながら道しるべのように飛んでいる姿を孤島の雲の上の丘で見た時、この世界に来れて本当に良かったと心から思いました。
その丘の上にぽつりと星の子のためのベンチが一つ置かれているのも、とても美しい佇まいに感じました。
「あそこで腰掛けて景色を眺めながら、星の子たちがお話しできるように」
そのためのベンチ。

お話をするためだけなら、あの場所じゃなくても良いのかもしれない。
けれどあのベンチから眺める景色の広大さは、きっとかけがえのないもののように思います。
旅路を進む上で必要か、必要じゃないかではなく…ただそこに在ってほしいから在るもの。そんな風な佇まいをあのベンチからは感じるのです。

skyの世界には、そういう場所が多いような気がします。
一緒に景色を見ながらお話しするため、ただそれだけのため。
ただひたすらに、そのかけがえなさのため。

それはお話しする場所やベンチに限りません。
孤島の丘の上の数え切れないほどの蝶たちにも同じ思いを抱きます。
洞窟内からの飛躍のためにその力が必要なら、蝶たちまで丘の上に飛んでくる必要はないのかもしれない。
エナジー回復だけのためならば、星の子が覆われるほど沢山の蝶は居なくても良いのかもしれない。
けれど私はそれよりも、あの丘の上にあの沢山の蝶たちがいてくれたことがとても嬉しかったです。


私が大人になるにつれ、幾度となく手放してきた愛しくて大切だったもの。
もうそれが何か思い出せなくても、skyの世界にはそれらがまだあるような気がしてなりません。
ふと目に映る光景に強く心が動くのは、その世界が大切な証だと思います。



摘んだ黄金色の花を星の子が両手いっぱいに抱えている

skyの世界に来た時から、この世界の花が大好きです。
現実世界のものに寄せた花も、まんまるでいつも草の中ふわふわ風に揺れている花もskyの世界には存在しますね。
よくこのまんまるな花の中で星の子も私の心も、ジッと座ったり寝転んだりしながら休憩をしています。
寝転んだ星の子の頬やかかとにふわりと花が触れる時、色彩と柔らかさを湛えたお布団が星の子を包んでくれているかのように見えます。勿論私の心も。

旅の行く先々、色んな所に咲いている花の姿は暫し進む足を引き留め憩いの時間を与えてくれます。
降り注ぐ光の美しさと花の優しさが、星の子に寄り添いながら風に揺れ子守歌を歌うようにザアザアと波打ち…。落ち着いて息を整えながら遠くを見つめる時間を与えて、空の広さを教えてくれているような気がします。
「世界は広いから、どこまでも行こう」、そんな風に。
再び立ち上がった星の子のケープや髪には、きっとこの旅路を祝福するように小さな花や草や甘い香りがくっ付いているんじゃないかな、と想像します。


まんまるな花は、小さな小さな粒のような姿からおばあちゃん精霊さんの出してくれる丸いパンみたいな大きな姿まで大小さまざま。
特に草原は自然の神様のパレットのように、沢山の色の花で溢れていますね。中には現実ではあまり見かけないような花の色もあったりして、どこか幻想的な雰囲気も漂っていて…。
現実に存在している花や花弁のはっきりしている花も、skyの世界らしいアレンジがあって。

私は日頃、花を見たりその輪郭に触れたりしていると、自分もこの世界の自然の一部で、花を通してそれを再確認しているような喜びを感じます。
星の子もきっと、skyの世界で同じように自分の位置を確認しているんじゃないかな。
花たちが返事をするように星の子に触れるとほんのり輝きを増したり、開く時に音が鳴ったりするのも素敵な所作だなと思います。


花笑む日々もとても素敵なひと時ですね。
少しずつ花が成長していく姿に、私も星の子も同じ時を過ごして同じだけの時間を掛けてつぼみが開くのを心待ちにしているみたいで
今を笑い合っているみたいで幸せな気分になります。



火鉢

火の灯る小さな火鉢と茶色ケープの裾

大樹に集う季節の案内人さんから受け取った小さな火鉢が、魔法以外で私と星の子が初めて手に入れた回復アイテムでした。

前述の通り、星の子同士で回復し合う術がある事を知らなかったのもあり
攻略サイト様で、エナジー回復アイテムとして大樹に集う季節の火鉢がある事を知ってからは、どうしてもこのアイテムが欲しくて仕方がなかったのです。
そこから、サブクエストであるツリーハウス完成までの長く険しい道のりが開けたのは、初めての転生を終えて少し経った頃の事。


先の「蝶」にてお話した初めてできたフレンドとは、ツリーハウスのクエストを手伝ってくれた星の子さんたちでした。
その方々だけでなく、クエストの各開始場所にて出会った星の子さんたちにも沢山お力を貸して頂いて、なんとか4つ目のクエストクリアまで辿り着き
あと少しで火鉢に手が届く…という段階からが、また苦難の時間。

夜空に流れ星を探し続けるかのような黙々とした時を、静々雨音に耳を澄ませながら過ごす日々。
雨林でのスクショが、5つ目のクエスト開始場所入り口での待ちぼうけ姿で占められてきていた頃…
偶然ツリーハウス内である一人の星の子さんに出会ったことが、私と星の子の「流れ星を見つけた瞬間」になりました。

察して貰えるかどうかの自信も無いまま、振れるだけの勇気を振り絞りクエストのお手伝いのお願いをエモートで伝えたところ…
こちらの願いを察し、あっという間にクエストをこなして…
ツリーハウス完成にあと一歩まで、その星の子さんは私たちの事を導いてくれたのです。
待ちぼうけ中に耳にした雨音や流れていった水、初めて見た雨林の虹。
それらが皆一瞬に凝縮して石になって、そして空を横切っていったかのような…本当にあっという間の出来事でした。

コーデアイテムを大樹に集う季節の精霊さんたちのものでまとめてらっしゃって、まるでツリーハウスの一員のような頼もしい装いの星の子さんでした。
フレンドにはならなかったけれど、ツリーハウスのクエストを思い出すと必ず脳裏に、あの時の颯爽と木の間を飛ぶ星の子さんの姿が浮かんできます。
そうして、ありったけのハートを抱えて案内人さんに持って行き、青いリュックにそうっ…と受け取った火鉢を詰めて…。
とうとう、念願の回復アイテムを私たちは手に入れることが出来たのでした。

多くの星の子さんたちの協力があったからこそ手にできた火鉢。
思い入れもひとしおで、暴風域に向かう折には必ずと言って良いほどこの小さな火鉢を背負って行きました。
エナジーの回復のみならず、揺らぐ火にじっくり照らされていると
「あの時すごく頑張ったんだから、今回もきっと大丈夫」
という励みが湧いてきて、一歩ずつ一歩ずつ、前に足を踏み出す熱量を受け取れました。
青いリュックに入っている姿も大好きでしたが、いつかのアップデートで変更になり、星の子の背中に火鉢がそのまま背負われるようになりましたね。
星の子の小さな背にぴったり背負われる火鉢の様子は、なんだか可愛らしさもあり、この様子はこの様子で良いなぁと思っています。


回復以外にも、その優しい火の揺らめきや画面を近づけると聞こえてくるパチリッとはぜる音も心地よく、何処かほんのり暗く静かな場所で一息つきたい時にも大いに活躍してくれています。



楽器

白いギターを背負う星の子、誰かと手を繋いでいる

「楽譜のドレミも読めないけれど、背負っても良いだろうか…」という誰宛てでもない申し訳なさ。
しかしそんな不安さえ風と一緒に吹き飛ばしてしまうようなskyの世界の楽器たちの途方もない魅力に、いつかその負の感情はすっかり解かれてしまったように思います。

初めて手に入れた楽器はNintendo Switch限定のスターターパックに含まれていた、ぽってりと可愛らしいフォルムが印象的な灰色のオカリナでした。
前述の通り、楽譜のドレミも読めない身。
五線譜上の音符の位置を一段ずつ確認して、音符の上に書き込まないと曲を奏でる事もできません。
奏でるというよりも、「一音ずつ順番に鳴らしている」という表現の方がふさわしいかもしれない。


…少し話は逸れますが私、学生時代は音楽ゲームに夢中でお小遣いを殆ど音ゲーに費やしていた人間だったんです。
特にあのアーケードならではの、体でリズムを感じて曲やグラフィックの世界観と一体になるような感覚が大好きでした。曲の間に感情が高ぶって曲が終わる頃には泣いていたり緊張の汗だらだらだったり…。
しかしついノリノリでバーッ!と勢い任せに手を動かしてしまうので、正直腕前はいつまでも上達せず…。
やがて今に至り、学生時代は遠く過ぎ去り体力も減ってしまった現在、音ゲーに触れる機会はめっきり少なくなっていたのでした。
(最近はまた少しずつ音ゲープレイも再開しています、楽しそうに遊ぶ人様のお話を見ては昔の血が騒ぎ…。再びの熱を分けて頂き有難い限りです)

話を戻し…。
そんなわけで、skyの世界に楽器アイテムがあるという事は知りつつも
書かれたドレミを見ないと弾けない、いざ弾いてもノリと勢いで操作してまともに曲にならないかも…という思いが心にちらつき、尚暫くの間は手に入れていたオカリナも着替えの祠に仕舞ったままでいたのでした。


数度の転生を終えてからも、まだまだ見知らない事が山のようにあって
星の子と疑問符を浮かべ合いながらエリアをあちこち回る毎日。

エリア内に佇んでみると、そういえば今まで余裕が無くて気付かなかったけれど、この世界にはなんて自然に「音楽」が存在しているんだろう。
私と星の子はそよ風にふと振り返るかのように、skyの世界で楽器を奏でる星の子さんたちの姿に気が付くことができたのです。

どんなタイミングだったか、どなたの演奏だったのかも覚えていないけれど、きっとそれは生まれたばかりの赤ん坊が楽しげな音の存在に初めて気付いた時と似たような感覚。
初々しい気付きを得て見渡した先には、世界の景色や物音、星の子の声や生き物たちの鳴き声と溶け込むかのように、穏やかな物腰で楽器を構える星の子さんたちの姿がありました。

素晴らしい演奏は勿論、まるで楽器を弾くことが食事や深呼吸と同じかのような自然体でイキイキとしたその様子に、私と星の子はうずうずとした感動を覚え、そして
「自分も弾いてみたい…!」
という細やかな夢を人知れず抱くようになったのです。


旅にもやっと少し慣れてきた頃、祠にずっと仕舞い込んだままだったあのオカリナが脳裏をよぎりました。
祠の中で少しほこりを被り始めていた、弾けると勘違いされないように祠の中でだけ背負っては片付けてを繰り返した、あのぽってりオカリナ。

ほこりを払い、改めて両手に抱えられるそのフォルムを眺めました。
「可愛い」
「人目につかない所で、練習してみたい」
ほどなくskyの世界の楽器は私に、学生時代の音ゲーの記憶と音にノる楽しさを再確認させてくれる夢のアイテムとなったのでした。


「一曲を極めるのもちょっと格好良いかも…?」
そんななんとも由来不明の意気込みと目標を胸に抱いた私と星の子は、ではまずは…とその一曲を見つけ出す事に。
短くて…一本指打法で弾けて…そういう曲がもしもあるなら…。
星の子との特訓(といっても、一回につき5分ほど)が始まりました。

曲は、宮沢賢治さんの「星めぐりの歌」にしました。
挙げた希望におそらく当てはまりそうでしたし、何よりskyの世界観にぴったりの曲のような気がしたのです。
楽器をそそくさと背負い、誰も来なさそうな場所を探して同じ曲を練習し続ける、音と触れ合う細やかな時間。
いつの間にか私も星の子も、その時間を心から楽しむようになっていました。

季節が巡り、羽ばたく季節の工夫好きの風鈴職人さんから白い小鳥のようなカリンバも受け取って。
音が違うと曲の雰囲気もがらりと変わりまたそれも楽しいもの。

全体を通しておよそ一分ほどの星空のめぐり。
綺羅星のように儚く美しいメロディー。
ドレミを見なくても弾けるようになってくると、嬉しくて、何度も何度も繰り返し弾きました。
星座をめぐって、最後にはその「めあて」に辿り着きます。

「星めぐりの歌」には歌詞も存在します。
その歌詞は、世界を旅し続ける星の子みたいだとも思いました。
星の子はどんな風に感じながらその曲を弾いているでしょう。
残念ながら弾いている間はお互い必死で、それを伝える事も読み取る事も私たちにはまだ難しいみたいです。
ただお互い、夢の微睡みの中で手を繋いで小さく歌うようなほの温かい気持ちと心地良い「遂げ」があり、楽器を背負い直す度にホッとするような眩い目覚めがそこにあるような気がしました。
それからだいぶ祠の中の楽器も増え…自信も少し増え…ドレミを見ながらなら弾ける曲も指2本分くらい増え…。


峡谷に音楽堂ができたのも嬉しかった出来事。
最近は音楽堂で買った「律動のギター」が特に星の子のお気に入りの楽器です。
今はもう「弾けないのに背負うのは申し訳ない」みたいな風には感じていません。
白雲から分けて貰ったかのような、白くて滑らかな曲線のフォルムに
「素敵でしょう!」
という素直な気持ちを、祠から楽器を取り出し背負う毎に胸に抱いています。


おやつ

丸いおやつを食べる星の子、おやつはこんがりキツネ色

星の子たちが丸いおやつを食べる様子が大好きです。
まず第一にただでさえ可愛い星の子が、あんなに可愛い動作とSEでおやつを食べているという事実が素晴らしい。
皆さんはどのおやつを食べている時の星の子が特に好きですか?
私は全部です。
と、言いたいところですが敢えて(敢えて)挙げるとするならば陽光の日々で販売された「おやつキット」でしょうか…。

最初に火のあるところを探し、そっと立て掛けを置き、おやつの刺さった棒をクルンと1回転しながら手に取り(アクティブ!)、チリチリ棒の先に刺さったおやつを火であぶる。
熱々であろうおやつをそのまま手で取り、…パクッ!
仕草ひとつひとつが丁寧で、ほんのり焦げていくおやつも見ているだけで良い匂いが画面のこちら側まで届くよう…。
そして極めつけは、おやつの無くなった棒におもむろにポケット(!?)からおやつを取り出し、棒の先にムニッと刺し直すところ…。
その可愛さで見る者の心を動かし続ける永久機関。
おやつキットはそんなアイテムです。


体格は魔法で何度でも変わることが出来ますし、エナジーの回復に飲食が影響している様子を見たことが無いので
「星の子、もしかしてものを食べなくても大丈夫なのかな…?」
とぼんやり根拠もなく想像したりもしたのですが、おやつを食べている星の子はとても可愛いので、とりあえず分からないままでいいや…で過ごしています。

「食べ物」が体力(HPなどとも表現されるキャラクターのステータス上の数字)の回復をするための消費アイテム…というゲームは少なくありません。
私も、お気に入りのゲームには偶然か必然か食べ物が回復系アイテムである事が多く(別に食いしん坊とかではないですよ)「やっぱり美味しい食べ物はエネルギーに繋がるんだな~」と感じていたものです。
星の子も、エナジーには影響が無いかもしれないけれど、おやつを食べて心持ちや気分がふわっと温まっていたなら良いな。

丸くて柔らかそうなおやつ、その匂いや温度や肌触りに「幸せ」と感じてくれていたら、私まで幸せです。


skyのエリアの中で、オフィスを除いて食べ物の描写が多い所って何処なんだろう…とふと疑問に思って考えた時、なんとなく「捨てられた地が多い?」と感じたのですがこれは私の気のせいでしょうか。
焚き火で鍋に入れられ火にかけられる闇の蟹たち。
忘れられた方舟エリアの精霊さんたちは、解放中の描写で畑を耕していたりキノコを探してる様子が見られます。
秘宝の環礁エリアの精霊さんである繊細な漁師さんは、「仲間たちのお腹がいつもいっぱいである事を誇らしく思う」(Twitter引用)と公式アカウントで書かれていました。
精霊さんたちはものを食べないと生きていけない、という事が伝わってきます。

捨てられた地はどこか寂しげで、神殿までの道のりは全体的に緑がかった空気と踏み込んでしまうとドロリと鈍い音が響き星の子のエナジーを奪う液体が存在する、どちらかというと「生命・エネルギー」を感じる折の少ない場所のような気がします。
食べ物の描写は他のエリアに比べ(多分)比較的多いのに、生命を感じない…?
そしてふと、捨てられた地にあるものってもしかして「食べ終えた後のもの」「エネルギーを失ったもの」があるんじゃないかな…と思い浮かんだのです。

星の子がおやつを食べる描写は、「星の子がおやつを食べる」事の中で完結している気がします。
つまり何も廃するものが出ない。ただそれだけで終わる事。
精霊たちはどうだったのでしょう。
精霊たちが食べ終えたものは、何処に繋がっていくんでしょう。
食べるとは口に含んで噛み、飲み下す事だけではないでしょう。
エネルギーを他のものから得る。
私たちも常日頃経験している事かもしれません。

星の子のように美しいままではいられないかもしれないけれど、ちゃんと次へ繋がっていくよう願っていたいものですね。


この世のあらゆるは巡り行きます。せき止める事はできません。
せき止めようとすれば必ず綻びが生まれます、それは奇妙な”だま”になって…表に歪に現れ出して…。
取り返しがつかなくなった時には、取り返しのつかないものだけが残って。

星の子はもしかしたら、そんな風になってしまった世界を紐解き、紡ぎ直すために生み出されたのではないかな…となんとなく思い巡らせました。

実際どうか、私は考察が深くはないので今こうして文章を打ちながら「こうだったら?」と思ったことをそのまま打ち込んでいます。
捨てられた地を歩きながら妄想に耽けただけで、公式情報を飲み込んでいるわけではないので、そう…妄想濃縮還元100%くらいに思って聞き流してください。


結論は「星の子がおやつを食べている姿は可愛い」。
そのうち周年パーティーの時のケーキや、三角コーンアイスも美味しそうに食べてくれないかな。陽光の日々のドリンクを飲む様子も最高でしたね。
いっぺんに飲み干さないところに星の子の上品さを感じます。

いつか更に季節が巡っていき、skyの歴史がまざまざ星の子たちに示された時に星の子たちがどんな思いをするか、私には見当がつきません。
ただ今は、どうかこの世界で傷つけあわずに誰の何も奪わずに、優しく元気に過ごしていて欲しいと思います。
どこかで苦い思いをしてしまった時も、おやつを食べて
顔を上げて旅を続けましょう。


書物に親しむ定例会

本を開く星の子の後ろ姿、目の前には夜空と虹が広がる

「蝶」でもお話した通り、私は幼い頃から交流があまり上手くありません。
しかし経験はこの年齢になった私にも日々成長というものをもたらしてくれるようで
skyの世界に来て2年と数カ月、その旅路での出会いや別れの積み重ねのお陰で、少しずつ…ほんの少しずつ…他の星の子との交流に踏み出す勇気を持つ事ができるようになりました。

旅の最中に偶然出会い、少しの間エモートをし合ったり音楽を聴かせて貰ったり…。
そうしてその後そっと差し出されたフレンド申請のキャンドル。
受け取れば世界がより眩く輝く予感はあるのに、それよりも心の底でコトンコトンと音を立てる不安がそのキャンドルを受け取る決意に影を落としていました。
画面の向こうで涙を流した事も度々あります。
もう二度と会えないであろう一期一会の出会いと別れ。その尊さが美しくも辛くありました。

お別れをして一人歩く私の星の子の背中が、さっきまでとケープも何も変えていないはずなのになんだか少ししょぼくれて、細く心許なく見えたような気がして、キャンドルを受け取れなかった星の子にも私の星の子にも申し訳ない気持ちでした。


それでも長い旅路の此処までで、少しずつ貴重な縁を頂いて星を繋いだ存在が私にも星の子にもできました。
長くお会い出来ていないフレンドもいるけれど、いつかその輝きが増した時直ぐに喜べるよう心の準備はいつだってできているつもり。
星の子にとっては夜空にフレンドさんの星が浮かんでいるだけで、思い出の明かりに火が灯って元気を貰えるようです。


フレンドが星座の星を見上げ合う存在だとするならば、星の子の集いにて出会い暫し同じ時間と同じ心持ちを過ごす存在は
たとえば今此処に掛かり、いつ消えるともしれない虹を見上げ合うような…そんな間柄でしょうか。
私と星の子はいつしかその一端を訪ねる心地の良さに、「集い」というものに魅了されていました。
白昼夢みたいな交流、けれどそれは決して曖昧なものではなく確かに其処に手ごたえのある邂逅。
集い後にタグを辿って、あの時あの場所で出会えた星の子さんに写真や思い出話の中で再会できると、心が火照ってとても嬉しい気持ちになります。
心の中にある思い出の棚に、大切に仕舞っている集いの記憶が沢山あります。

チャットは滅多にしませんし、交流はまだまだ不得手だけれど星の子の集いへの参加を重ねるうちに少しだけ誰かと一緒の時間の過ごし方(出会い方別れ方も含めて)を身に付けていっていた頃。
ある日いつものようにTwitterでskyイラストアカウント様を拝見させて頂きながら巡っていたところ、目に飛び込んできた星の子の集いの告知ツイート。

書庫の青い空気と星月夜の砂漠の砂でインクを作って、一文字ずつ丁寧に綴りあげられたかのようなそのツイートこそ
「書物に親しむ定例会」の前身、「書庫で書物に親しむ会」の告知ツイートでした。

「なんて詩的な集いだろう」
美しいskyの景色の中でともに各々読みたい本を読む。
自由さと仄かな繋がり。
第一印象でグッと心を掴まれた私はツイートに掲載されている画像を食い入るように確認し、何度も開催日と時間を頭に叩き込んで…。
開催日当日は本とワクワクと緊張を胸に抱えながら、星の子と二人会場へ向かってゆきました。

程よい距離感で互いを思いやり、各々自由に本の世界に浸るひと時。
本を読み進めるうち、心の底で音もなく丸くて柔らかな気泡が生まれた気がしました。
本を閉じて会場に別れを告げ、ホームに戻るまでの道中で
その気泡が、花の綻ぶ様に弾けてぽつりと心の壁中に響きました。
「この会が好き」、と。


定期開催として「書物に親しむ定例会」が決まった時も、すごく嬉しかったです。
日常の慌ただしさにかまけ腰を据えて本を読むという事からすっかり離れていた自分の「もう一度本と仲直りしたい」という想いと、星の子の「ほんの少しでも誰かと一緒の時間を過ごしたい」という想い。
その両方を定例会は叶えてくれました。
今は予定が許す限り月2回の定例会に、指定図書を読む不定期開催の
「全天一冊」、先日初めて開催されたところの「書庫と書物の小さな会」にも参加させて頂いています。


私が「書物に親しむ定例会」が大好きな理由は、読みたい本を美しい景色の中で自由に読めるというのは勿論なのですが、もう一つ。
一期一会で終わるはずだった星の子と星の子の繋がりを、もしかしたらそれだけでは終わらないものに変えてくれたという事。
多分、私たちが誰かにとっての「見知らぬ子とフレンドの狭間」になれる予感があるからだと思うんです。
同様に、私たちにとっての誰かとも。
フレンドになる事に未だ勇気と自信は足りないけれど、この時間と空間では幾度通ううちにもしかしたらどなたかの
「もしかしてあの子は、前に見掛けたあの星の子かも」
という存在になれるかもしれない。
同じように、私と星の子にとって
「あの子はもしかしたら、前に見掛けたあの星の子かも」
とその時言葉には出さないけれど、心密か胸に火の灯る存在の星の子さんができたりするかもしれない。

一度別れればもう会う事は難しいであろうこの広い広いskyの世界で、もしかしたらもう一度出会えるかもしれないという希望の灯火のようなもの。
定例会は…書庫番さんは、それを私と星の子にくれました。
それはきっと「また会えた」「もう会えなかった」では揺るがない、必ずの温もり。
出会ってくれてありがとう。
あの時の貴方の存在がこの胸の中で宝石のように在る事、信じていて
覚えていて欲しいと思います。



終わりの度

この世のものは全て、増えているわけではなくて元からあるものが姿を変えて循環しているだけ。
という話をいつか昔に聞いて以来、私は生きて死んでゆくことへの不安が少し楽になりました。
いつか私も、最後にはこの世界に借りた体をこの世界に返す時が来るでしょう。その時は私を栄養にして今度はどんなものが生まれるでしょう。
なにか少しでも、誰かの何かの糧になれたら良いですね。


星の子はどうだろう。使命のために生まれ、最後はどうなるのだろう。
私はそれがすこし不安であったりもします。
けれどとにもかくにも最後には、星の子の笑った顔が見たいと心から思います。


skyを始める前、私には長年プレイしていたオンラインゲームがありました。
離れていた期間を除くと約9年、含めても良いのなら約14年。
ずっと傍にいて心を支えてくれた存在がそのゲームに居ました。
お別れはサービスの終了でやってきました。
データの中の存在の儚さを痛いほど知りました。
けれど何も無い状態に戻ったのではないということも、サービス終了からもずっと消えない愛着や、その時得る事のできた交流や縁で強く感じています。
この世に一度でも生まれた以上は、無にかえる事はないのかもしれません。

いつか星の子が使命を終える日が来て、その体をデータの海に流したとしても魂は良い香りと一緒に、私の中に残ってくれるんじゃないかな~と今は考えています。


いえ、でも願えるのなら、いつまでも末永くskyが続いてくれますように。
星の子といつまでも一緒に旅ができますように。
けれどお別れが本当にいつか来るのだとしたら、きっととても寂しいな。
そしたら星の子に私から会いに行きたいですね。
データの向かい風に逆らって。
私、光の翼を仕舞っておく場所無いですけれどね。



取り留めのない文章を最後までお読みいただき有難うございました。
全てのプレイヤー様、全ての星の子様の旅が、どうかいつまでも
いつまでも素晴らしいものでありますように。
「私の好きなものを知ってくれて、ありがとう」

2023/12/15



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