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2月の徒然  

 最近読めないし、書けないのだけれど、すこぶる調子が良い。毎冬悩まされていた猛烈な気分の落ち込みと、身体のこわばりが今年はない。今年は寒さがあまり厳しくないせいなのかな、と漠然と思う。
 あとは昨年の11月末ごろから小麦をやめてみている。小麦は大好きだ。クッキーもパンもうどんも蕎麦も。避けるのはなかなか大変だった。約3か月ほど辞めてみて、泥のように身体が重いみたいな事がなくなり、これも私には有効だったのだろうか。パン食べたい。

 調子が良いなら良いで、この状態に不慣れで戸惑うところもあり。このあとすごく調子悪くなるのでは、と警戒したり。こういう時、手放しで喜べるといいな、と思う。

 最近週末に予定を入れてもなんとかこなせる事が増えた。やはり疲れると少し落ちるので疲れない程度、ということは肝に銘じて。身体の疲れにも敏感になった気がする。
 今年は旅行にも行けるだろうか。私は旅行に行くとだいたい詰め込みすぎる。つい、ここもあそこも、ついでにこちらもと、どんどん行くところが増える。どうしてものんびりできない。欲深い。でも欲があるということは、前向きで良い。

 常に頑張っていないといけない気がしてしまうのだけど、反面、いつまで頑張れば良いのか、と絶望感がある。頑張らずに肩の力を抜いていきたい。
 何もしていないと人生は下りのエスカレーターに乗っているような気がして、下に運ばれないように必死で上に登ろうとしてしまう。私の頭に強固に刷り込まれたこの強迫観念を拭うことができない。
 なにかしていなくては、なにか仕事以外にも頑張らねば、と思ってしまう。たとえ意味がなかったとしても、何かせざるを得ない。
 慢性的な落ち込みや、疲労感はここから来ているのだろうな、とは思っているのだけれど、払拭する術が分からない。カウンセリングで話してみたものの、特に変化はない。苦しい。早くこのエスカレーターから降りたい。調子は良いのにこの苦しみからは逃れられない。

 衝動的に岸政彦さんの「断片的なものの社会学」と、石牟礼道子さん「苦海浄土」、小川洋子さんの「密やかな結晶」を買ってしまった。危うく植本一子さん「さみしさについて」と、奥村隆さん「他者といる技法 コミュニケーションの社会学」も買ってしまいそうだった。いや、今後買うかもしれない。
 「断片的なものの社会学」と「密やかな結晶」は図書館で借りて既読なのだけれど、折りに触れて思い出す本だったので、ついに買ってしまった。楽しみに読み返したいと思う。
 「苦海浄土」は名作と聞きつつ、読んだことがなかった。このタイミングでなぜ買ったかというと、お気に入りの本屋さんに行った時に斉藤陽道さんの展示をやっていて(展示も素敵でした)、そこに斉藤さんの本棚を参考にして本屋さんの店主が選書したコーナーがあり、なぜかスポットライトが当たるが如く、気になってしまった。そういう時は読むタイミングなのかな、と。とはいえ、今あまり読めないのですが。少しづつでも。

 毎年冬になると湯たんぽが活躍する。A5くらいのサイズのものと、大きいのと二つ持っていて、小さい方のサイズを日中お腹に抱き、夜寝る時に大きい方を使っている。ともに硬いやつではなく、ゴムっぽい素材の柔らかいもの。小さい方はほぼ日で買った。とても快適。湯たんぽの優しい暖かさが癒し。
 日中仕事で座っているので、特に不便さもなく。出勤していた頃は、お腹にカイロを貼っていたけれど、それよりこちらの方が心地よい気がする。個人的な冬のおすすめアイテム。もう冬は終わりそうですが。私はなかなかやめ時が毎年分からなく、春まで湯たんぽしてたりする。

 気がつけばもう2月も終わりに近づいている。1〜3月は、年末と同じく過ぎるのが早い気がする。あっという間に3月になり春になり、またひとつ歳をとる。そして暑い夏が来る。この繰り返し。






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