残暑お見舞い申し上げます。

※この文章は8/12深夜、から8/13暁にかけて書かれている。

日付回った今日。私は誕生日を迎えた。正確には、午後3時38分に親のお腹から帝王切開で取り出されたようなのでまだ23年丸々生きてはいないのだが。就職活動をやんわり始めてから10ヶ月目。そう10月8日に初めてインターンなるものに参加してからちょうど10ヶ月目の8月8日に内々定を頂いた。それは不安と焦りというまるで空に浮かぶ雲の様な、漠然とした感情との戦いが一旦の終止符を打ったのだ。それは、単なる就職先が決まらない恐怖だけではない。自宅浪人時代の、あの社会と隔絶された状況。それ自体への恐怖も加わり重層的な感情になっていた。そのような長い戦いも、クライマックスを迎えようとしている。

10歳の頃の小さな私は、現実に忙しかった。日々を一生懸命に生きていた。制服を着て登校する中学生が随分大人に見えたものだ。習い事を毎日こなしていく。余った時間に一人っ子特有の1人遊びをする。好きだった相撲ともいったん距離を取った年頃でもあった。

17歳の頃も今では過去の話。大学4年生など本当におっさんに見えた。当時は肉体的にも、知能的にも、精神的にもすべてが、何もせずとも良くなっていくと思っていた。自分はそう。何もせずとも受け入れてもらえる。肯定される存在だという認識で世界を見ていた。他人を受入ずとも受け入れてくれると本気で思っていたのだ。自身は社会に必要な人間である。そう思っていた。翻せば、ずっとそう思っていたかったのだ。そして、浪人をした。受験で全落ちをし、社会から能力を否定されたことを現実生活の問題としても受け入れなくてはならなくなったのだ。社会から不必要とされる解雇通告。そのように当時の私は感じていたのだ。それはまさに毎年冬に民放で放送される、自由契約になる野球選手達のようであった。そこからの私は、失敗を受け入れ理想と現実を詰めていく。そのような大学生活であった。

「今はどこへ向かう途中なのか」そう自分自身に問う。さっぱり分からない。一寸先は闇だ。そんなことはわかっている。1人で頑張らなきゃいけない時もある。1人で頑張れない時もある。喜びを共有したい。繋がりから解き放たれたい。そういった葛藤を乗り越えられるのか、乗り越えた先に何があるのか。私には想像もつかない。ありきたりの言葉がある。「今を頑張れないやつは、明日も、その明日も頑張れない。」確かにそうだ。その言葉に一定の正しさがあることは、後回しをしがちな自身の経験にも裏付けられる。これは私に課せられた最後の課題だと認識している。最後の最後に、卒論に向かって後3ヶ月どこまで本気になって取り組めるのか。現時点での自分が納得し得るプロセスで、最大限の量の努力及び試行錯誤を継続させられるのか。

こういって締める文章は、形や内容を変えて高校時代から幾度も書いてきた。意思を記して終わるということが非常に多い。ではなぜ自身は決意文で終わってしまうのか。その部分を考えて策を講じていかないとならない。

ひとまず、就活がほぼ終わったことをここにご報告します。

<参考リスト>

歌詞
http://j-lyric.net/artist/a002707/l0058ce.html

動画
https://www.youtube.com/watch?v=z10Jdm6Uv7Q


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?