今日も

ふと、取り返しのつかない過ちを犯した分岐まで戻ってしまう。

簡単に流れない夜がある。

生きることってやるしかない!って嘘でも進み続けて、ちょっと大丈夫になって、の繰り返し。

その中で分岐まで戻って、都度落ちるとこまで落ちて、やるしかない!までの間をぐちゃぐちゃに辿るのは、私なりの過ちに対する向き合い方、必要な反芻だと思ってる。

大丈夫はおまじないだから、きっと完璧な大丈夫なんてもうここにはない。

落ちて、やるしかない!に辿り着いて、大丈夫かも、を繰り返すことが正常。

なのに、状態が良くないと、何度も生き残ってきた自分すら許せなくなって迷子になる。
この繰り返しそのものから救われようとしているみたく思えて、自分が気持ち悪く見える。

本質はそこじゃないのに、どうしてこうも自分のことを強く考えてしまうのだろうか。

傷つくことももちろんあったけど、傷付けたことの方がどうしようもなくてやり切れない。

ごめんとかじゃないし、自分が消えても傷は消せない。
傷があるからそう思う。どうしようもなさが分かる。

自分の大丈夫が効かなくなった時、大丈夫になるまで手を握り続けてくれた人のことを思うと生きずには居られなくなる。めちゃくちゃキモくても。
大丈夫じゃない状態で居続けることの方がよっぽどキモイって思えてくる。

誰かにとって最低でも、欲深い私は今日も生きている。

それがいいことが悪いことなのかは分からない。

ただ、このまま死ぬとかより凄いことをやるしかないって決まってる。
私が生きるために決めたこと。

明日がちゃんと来るようにとか、もう来ないようにとかを祈るより、明日が来るのが惜しいくらいにぐちゃぐちゃな今も、大丈夫な今も、今の私で生きていく。

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