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あれは一体、


世界が変わる前、もう5年ほど前のことだっただろうか。
とあるネット記事で『マスク依存症』という言葉を見かけた。
記事によると、それは、容姿を隠すためにマスクを着用して、精神面の防御として、ストレスを軽減するために使用した結果、常にマスクをしていないと不安になる状態のことを指す言葉だった。

わたしは、その状態にとても心当たりがあった。

はじめて行く場所、足を踏み出すのに勇気がいるところに、マスクを着用して行ったことが何度もあった。一歩踏み出すのに、自分の足を動かすのにどうしてもマスクが必要で、それは確かに一種の精神防御だった。そして勇気がいる場所こと目的地に着く直前にマスクをすれば安心、という話でもなく、マスクをしないと自宅の玄関すらもくぐれないと感じていた。花粉症でもなんでもないのに、不織布マスクをして、外に出ていた。

はじめましての人や遠い他人とそれなりに会話をする前提で会う時も、マスクをしていた方が安心して、きちんと視線を合わせて話すことができた。できれば相手もマスクをしていて欲しかったが、自分だけでもマスクをしていることで、かなり精神が安定していた。マスクなしで対面するとやりとりする情報量が多すぎて、相手の顔を直視できなくなるのだ。だからそうなると大体机とか手元とか服とか、相手の向こうに見える壁とか窓の外とかと会話する他なくなる。

マスクなしの代わりにずっと明後日を向いているか、マスクありの代わりに目を合わせるか、どっちが相手にきちんと向き合えるかと言えば後者なので、本人確認の一瞬以外はマスクOKの社会ならいいのにな、と思っていたりした。あの頃は、マスクをしないことが常識だったから、マスクありで目を合わせていようが、なしで机と話していようが、結局相手からの印象は悪いのだが。

しかし、わたしは人に怒られればマスクを外せるレベルであった。マスクがない不安よりは、怒られない平穏の方が大事だった。だから、依存症という診断は受けないだろう。

ところで、世界が変わった後の今でも、マスク依存症という言葉は存在するらしい。
やはりそれは、マスクをしていなくてもいい場面で外せない人のことを指すらしい。

マスクをしていなくてもいい場面、とは、このご時世であればおそらく、周りに誰もいないだだっ広い空間、になるのだろう。人がすぐそこにいるのなら、会話をするしないとか関係なく、マスクをしていないと、相手に不安を与えかねないからである。

わたしがマスクをする目的のいちばんは、外界、とくに他人と自分との間にひとつ壁を作ることだ。

だから、何もないだだっ広い場所でひとりぽつねんと突っ立っているなら、マスクを外すことに抵抗はない。

以前の定義による依存症、にはおそらく片足を突っ込んでいる。
最新の定義による依存症、には該当しないと思われる。

ただ、ひとつ、疑問がある。

『マスク依存症』とは、そもそもなんだろう。

依存症が依存症という名前を与えられ、病気に指定されるほどの理由は、それが本人含め周囲の人に苦痛を与え、社会生活に悪影響を及ぼす程度に発展したから、であると思う。少なくともわたしは、厚生労働省の解説ページを読み、そう感じた。

では、マスクを外したくても外せないことが与える苦痛や悪影響とは、なんなのだろうか。

心当たりがある自分から言わせてもらうと、マスクをしていると安心するので、依存症と呼ばれるまでに至った人たちが社会に積極的に関わるには、マスクはむしろ必需品となる。ここで外せと言われる方が、社会から脱落しかねない重大事件になってしまう。それでも、外せるようになれない方が、社会や周囲に悪影響や苦痛をもたらすのだろうか。

そして今、世界は変わった。マスクが推奨されるこのご時世では、外せないことで困ることがあるとはあまり思えない。先程例に出したが、周りに誰もいない何もないところでぽつねんと突っ立っていて、そこでマスクを外すことに抵抗があったとして、果たして誰かに、自分に、迷惑はかかるのだろうか。
たとえば肌が弱い人が、マスクによる皮膚炎を併発しているにも拘らず、マスクを外せなくなるというケースが、依存症に該当するのだろうか。

世界が変わる前では、マスクをずっとしていることに不信を覚える人も大勢いただろうし、それが社会での障壁だと言われればたしかに依存症と呼べる面もあったかも、と納得はしている。

しかし世界が変わって、マスクが必需品になり常に顔が半分隠れているのが『普通』になって、以前でいうところのマスク依存症の方のような暮らしがスタンダードになった。ではこの世界の前後で、マスクを起点として、社会は著しく悪くなったのだろうか。少なくとも日本というコミュニティでは、意外と問題なく社会が進んでいる気がする。
声がこもり、読唇ができないという点で、聴覚が弱い人にとっては生きづらい世界になってしまったが、それと依存症を定義づけるのに必要な悪影響とは、多分問題の抱えるものが違う。

『マスク依存症』とは、何だったんだろう。

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