人間という生き物は、美しいものに惹かれてしまう宿命、もしくは業を背負っているのだろうか。音楽が、気持ちいいと感じる音やリズムの連鎖から生み出されたように、学術分野でもそれは起きるのだろうか。たとえば摂

好きだったコラムがある。

それは5つ上の姉が高校で使っていた化学便覧に載っていたもので、水についてのコラムだった。

水は、いちばん身近に、そして豊富に存在する化合物だ。物質の三態を学ぶ時、三態の例として最初に示されるのは水と氷と水蒸気だし、化合物という概念を学ぶ時も、馴染みがあるからだろう、H2Oはかなり初期に登場する。

該当のコラムというのは、その水が、実はかなり特殊な性質を持っている、と解説するものだった。

件の化学便覧は捨ててしまっており、記憶違いその他の責任を負えないため、コラムの詳細を語るのはやめようと思っていた。しかし、軽く検索してみると、そのコラムと似たようなことを書いているサイトを見つけたので、代わりに該当サイトのリンクを紹介しておく。

興味のある方はぜひご一読を。↓

コラムを読んでいた頃のわたしは中学生で、便覧に書かれていることのほとんどを理解できていなかった。結晶の写真や炎色反応の写真を眺めて「綺麗だな〜」と思うくらいの読解力しか持ち合わせていなかった。

不対電子の数を手の本数と教えられ、その手と手の取り合いで分子の構造式は書けるようになってはいても、混成軌道や結合角の概念を知らないから、二酸化炭素は直線状に、水分子は折れ曲がった形に書くという書き分けが必要になる理由が分からなかった。水素結合やファンデルワールス力なんて単語は教科書には載っていないから、氷が固体としては特殊な挙動を示すと習っても、その理由には辿り着かない。氷とはそういうものだ、で、おしまい。それくらいの解像度でしか、世界を知ることができなかった。

【いちばん身近に、そして豊富に存在する、いわばマジョリティである水という物質が、化学の世界で、こと物性においては特殊でマイノリティである】。当時のわたしがあのコラムを読んでわかったことは、それだけだった。

それだけで、十分だった。

水があったから地球には生命が誕生し、繁栄し、そして人間も生まれ、今日を迎えここにいること。

さらに水という物質の物性の恩恵を十二分に受けて、単純な生殖活動に留まらず、文明を生み、エネルギーを作る手段を得て、生活を営んできたこと。

しかし、地球上の液体全ての代表ですという顔をして居座っている、地球の7割の表面を埋める、身体の7割さえも占める水という物質は、特殊で異質でマイノリティであること。

今この時というものは、実は途方もない数の偶然を積み重ねた上にある奇跡だということ。

その事実が、気が遠くなるほどの恐怖を連れてきた。同時に、その怖さの中へ飛び込んでみたいと思った。恐怖の先に何があるのか、どうしても気になった。

はじめての感覚だった。

思えばあれが、“何かに出会って世界がひっくり返る”という感覚を初めて味わった瞬間だったのだろうと思う。10年以上経ってなお、鮮烈に覚えているわけだから。多分、だけど。

覆水が盆には返らないように、ひっくり返された世界だって、元の向きに戻したところで元通りにはならない。逆さにすることで気が付いた何かを知覚せざるを得ない、違う世界となって目の前に広がる。

その積み重ねが学習であり、研究であり、探索であり、推しが増えるということであり、全ての生命活動であり、生きている証、なのかなと、今はそう思っている。

摂氏温度ってすごい発明ですよね。

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