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ポジションというもの

スーパーマーケット。大抵の人にとって必要不可欠なその形態の商店は、私のなかでエンターテインメントの半分くらいを占めている。その証拠に、私には【初めて訪れた場所で時間が空いたらGoogleマップに「スーパーマーケット」と打ち込み、行けそうな場所にあるなら行ってみて、特に生鮮食品を順に見て回る】という癖がある。観光スポットが近くにあろうと、有名な何かがすぐそこにあろうと、スーパーがあるのならそこに訪れてみるのが私の最優先事項になる。

こんなこともありました(2018)

上記のまんがに書いた通り、私は「その場所の生活の様子」を垣間見ることを楽しみにスーパーへ行く癖がある。それは言い換えれば、「もしも自分がここの近くに住んでいたらどんな暮らしをするだろうか」という想像を投影する行為であり、それが自分のなかではエンタメになっているので、一般的な観光地にはたいして興味が向かない。私の興味は半分が空想の世界(→音楽や創作など)にあり、半分が「生活」にある、そんな感じの単純な人間だ。

そんな私なので、『理想の暮らし』を考えてみてくださいと言われれば真っ先に考えるのは「生活」を支え、エンタメとして心も癒してくれるスーパーマーケットのことになる。よって、『理想の暮らし』とは『理想のスーパー環境がある場所での生活』と変換される。

私は5年間を、長野県上田市で暮らした。理由は単純、信州大学繊維学部に通っていたからだが、その5年間で私は上田という場所をたいへん好きになり、今でもどうやったらあの辺に居を構えて住民税を納められるのかを考え続けているし、卒業式の日には持て余す感情をどうしていいか分からずひとりでアナザースカイごっこもした。本当に大事な場所である。

ところでこの繊維学部というところの周りには、徒歩や自転車で「ちょっとそこまで」みたいな気軽さで行けるスーパーが多い。どこまでを気軽に行けると判断するかは人それぞれだけれども、私が実際に歩き、もしくは自転車で訪れ、これは日常的な買い物をする圏内の店だと判断したスーパーは5軒あった。
この5軒は看板も経営会社もすべて違い、立地も割とばらばらなので、品ぞろえの方向性や店のレイアウトも違えば、どのスーパーに行くのかを変えるだけで行きの道からまるで違う景色が広がるのだが、この【方向性の違ういろんなスーパーに簡単にアクセスできる】という繊維学部周辺の環境は、おそらく私の『理想のスーパー環境』のある街だった。だからあの街が、あのあたりが私は今でも好きなのだ。

私は、ある使用目的でのみ作られた製品を持つことが好きな方だと思う。たとえば、今ならスマホ1台で済ませられる「きれいな写真を撮影する」「携帯電話による通話」「メッセージアプリによる連絡」「買い物の決済をする」「音楽鑑賞」というアクティビティに対して、私はそれぞれ「一眼レフ」「ガラケー」「タブレット」「財布と現金と物理カード」「音楽プレーヤー」という製品をあてがっている。おかげでどこへ行くにも大きなカバンが必要になるので「何をそんなに持ってきたの?」と訊かれることもままあるのだが、私は「何を、って言われましても、必要最低限のもので……」くらいのことしか言えない。
それだけ鞄が重ければ当然どこへ行くにも肩は凝るし混雑する場所に行けば邪魔になるので、スマホ1台に集約しようと考えたこともあるのだけれど、専用のものが生み出す余白の遊びのようなものが好きなので、今のところやめられそうな気配はない。
また、私には自分の持ちものに対して「これは〇〇用」と用途までを言い渡して管理する癖もある。たとえばノートAには必ず下敷きA、ノートBには下敷きBを使う、なんてことは中学生くらいのころからやっていて、それはうっかりどこかで別の使い方をしたら最後、忘れて失くす実績を積み重ねたが故のリスクヘッジも兼ねているのだけれど、モノの居場所が定まっていると安心するのだ。

そういう癖があるから、私は上田の5つのスーパーも、一通り歩いて比較したのち「あれを買うならここ」「こういうものはあのスーパーが得意」「この時間帯ならあそこに行くのが一番楽しい」という分析を行い、用途を分けて使っていた。
たとえば、アナザースカイごっこでも触れたツルヤは、見切り品の質が良かった。つまり、通常価格の商品はもっと質が良く、それでいてお手頃価格なので、毎週の買い出しに使っていた。ここにしかないカット野菜もあって、それはとても便利だった。本当に便利だったよ餃子のタネ専用のカット野菜!
また、アナザースカイごっこ記事で名前だけちらっと出した、5年のうち前半3年の胃袋を支えてくれたAコープというスーパーは、農協直営で農産物直売所が併設されているスーパーである。そのおかげもあっていちばん季節を感じる買い物が出来る場所だから、たとえば筍とかいちごとかりんごとか栗の季節に行けば、他のスーパーではお目にかかれないものに出会える場所だった。しれっと地物の松茸も並ぶスーパーです。
全国展開のイヌの鳴くスーパーは、毎月固定の値引きキャンペーンがあるとか「あのメーカーのこれが欲しい!」という需要に強い品ぞろえだったので、食料よりは買いだめの利く日用品を買う方が多かった。でも塩ぱんと1キロで袋入りの鶏もも肉と、とり野菜みそだけはここにしかなかった。
近隣で唯一の24時間営業だったスーパーは夜も遅くなってきた時の急な需要に応えてくれた。雨宿りや雪宿りをさせてもらったことも何度かあるし、2019年以前、推し不織布マスクはここでしか箱買いが出来なかった(防寒とメンタルケアのため当時からマスクは箱で常備していました)。
上田駅に近いスーパーは立地の便利さもさることながら、銘店の品ぞろえがいちばん充実していたので、いろいろな場所へ手土産を買うのに大変お世話になった。あとテナントの文具雑貨屋さん。

でも、上にあげた使い分けも、済まそうと思えば一つのスーパーで済ませられる用事だ。もともとスーパーマーケットとはジャンルの垣根を超えて集まった商品たちが一堂に会する商店のことなのだから、手荷物になぞらえるならそれぞれがスマホなのだ。
だから、たとえば私が「あのメーカーのこういうの!」という製品に対する細かい要望や値引きキャンペーンの恩恵に与りたい気持ちを捨てればイヌの鳴くスーパーへ行く用事はなくなるし、季節なんてどうでもいいと思えばAコープにもあまり足が向かないだろう。なんたって、このスーパーに行くには結構な上り坂を越えなければならないので、休日の朝一番に空っぽのリュックを背負って気合を入れなきゃ体力が足りない。
手土産を選びに行ったあのスーパーだって、駅を少し越える前に駅の売店に行けば簡単にご当地らしいものは手に入るし、文具雑貨だって、わざわざ買いに行かなくても、ネットでポチれば翌日から翌々日に届く。
5つのスーパーの使い分け条件をすべて捨てた時、一番家から近くで便利な立地のスーパーは実は24時間営業のところだった。もし私が生活に無頓着なら、利用時間帯は夜に留まらなかっただろうし、雨宿り雪宿りのような偶然みたいな思い出こそ生まれなかっただろうな、と思う。

ちなみにAコープの坂、帰り(下り方向)に自転車でノーブレーキでどこまで走るんだろうって興味だけで走ってみたら買い物したものの質量も重なって命の危険を感じるくらいのスピードが出ました。でも冬の夜に歩くと綺麗ですあの道。

学校帰りでも行きやすい24時間営業というとても便利なスーパーが家の最寄にあったにもかかわらず、私はわざわざカレンダーとにらめっこして家の日用品ストックの残量を事細かにチェックし、ツルヤのデジタルチラシの更新が来れば目を通し、必要なら急勾配の坂道を上りAコープまで買い出しに繰り出す、そんな生活を5年間続けた。一度で用事が済まなくて、1日に3回まったく別の方角に自転車を走らせて全部終わって帰宅したらへとへとだ、なんてことは両手足を数えても足りないのだけれど、それでも苦にはならなかった。景色の違う道を走り、景色の違うスーパーに行き、それぞれの目的を果たすことは、一眼レフカメラで写真を撮り、タブレットでSNSを見たり連絡を確認したりして、音楽プレーヤーで音楽を聴く、それと同じこと。ただそれが移動という形で現れただけのことだった。

それはある人が見れば不便というか、非合理的と思う暮らし方だと思う。スマホさえ持てば他の荷物がいらない身軽な外出のように、一つの場所で用事を完結するのは合理的で、体力時間気力みたいなものを温存し他に回すことができる。というか、そもそも今の時代、買い物は届けてもらうことこそが賢い買い物で、そして時短ライフハックである。探しに行く時間も体力もゼロのまま、私達は目の前の画面から、大抵のものを買うことが出来るから。

それでも私は走り回って、用途別にスーパーを巡る暮らしが好きだ。それは住んでいる街そのものを知ることにもつながるし、住んでいる街の人がどんな顔で暮らしているかを知ることにもつながるし、何より、キャラクターや得意なことがばらばらのものが寄り集まった街がある、それこそが豊かな暮らしだと信じていたいから。

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