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人生の価値

友人にブログでもなんでもいいからやってみたら?と言われて始めることにしたが、何を書けばいいか分からなかったため、私が中学生の時から変わらない考えをまず書くことにした。

人生の価値についての考えは中学時代から変わっていない。それは「自分が死んだ時に悲しんでくれる人がどれだけいるか」というものだ。自分が生きている間に生まれた意味、生きる意味を見つけられる人なんて限られた極小数にすぎない。「私の生きた意味は死んで初めて分かる」と中学生の拙い頭で考えた結論が10年近く経とうとしてる今も変わらないということは私の中ではこれがベストアンサーということだろう。

そもそも何故こんなことを中学時代に考えたかと言うと所謂「厨二病だったから」ではない。もしかしたら、そうだったのかもしれないが、生死について考えたのは死にたかったからだ。中学生の私は自殺志願者だった。別にいじめられていたわけでも、虐待を受けていたわけでもない。クラスは明るく快活だったし、家庭にも恵まれていた。それでも得も言われぬ息苦しさを感じていたのだ。誰が悪いわけでもない。自分の心の問題だった。死にたいと思うようになってから私はどうやって死ぬかを考えるようになった。その頃の私は傲慢で苦しまず尚且つ周りに迷惑をかけない死に方を探していた。そんな死に方あるはずもないのに……馬鹿な私は存在しない理想を存在すると思い込み追い求めていた。

首吊り、飛び降り、飛び込み、睡眠薬、溺死etc…様々考えたが苦しむことなく周りに迷惑をかけない死に方なんて見つからなかった。そんなことを考えている時点で本当に死ぬつもりなんてなかったのだと今になればよく分かる。しかし、この頃の私は死ぬ勇気すらない自分に生きる価値はあるのかと考えるようになった。今となっては自ら死を選ぶことがどれだけ苦しくて勇気のいることか分かるが中学生の私に分かるはずもなく、自分は死ぬことすらできない弱い人間だと思っていた。そして、1年程考え続けた結果、自分が生まれた意味、生きる意味を理解することはできないという結論に至った。考えることを放棄したのではなく、中学生の自分が理解できるほど人生は簡単なものではないということに気付いたのだ。それでも、生きる目的が欲しかった。目的がなければ生きることが辛かったからだ。

そこで私は考えた。自分の人生の価値を、ゴールを。それが「自分が死んだ時に悲しんでくれる人がどれだけいるか」というものである。悲しんでくれる人が多ければ私の人生は幸せだったと胸を張って言えるに違いない。幸せな人生を送るためには多くの人が悲しんでくれるような人格者でなければいけない。そう考えた。しかし、当時は私は人格者から程遠い人間であった。そのため、自分の性格を変えるのにはかなり苦労した。今も人格者などとは口が裂けても言えない。ようやく平均値に辿り着いた……いや、まだ平均値に足をかけれた段階かもしれない。それでも、当時と比較すれば大きな進歩だ。

自分を変えるのは簡単なことではない。時間もかかるし労力もかかる。それでも、ここまでやってこれたのは周りの人の支えがあったからだ。1番の支えになってくれた人はもういないが、それでも最期の最期まで自分よりも私のことを考えてくれた。その人の最期の言葉があるから私は、どんなに苦しくても自ら死を選ぶことはないだろう。

親愛なる友人に誇って話せるように幸せだったと思える人生を、価値のある人生を私は歩む。

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