もうすぐ水平社百周年

さっき養正小学校に行ったのです。
これから先、養正市営住宅が大きく変わろうとしていて、それに先がけ住民の声を聞く「未来のまちづくりミーティング」というのを企画してくださって、素晴らしいなあと思い参加しに行ったら日を間違えていた、、、
昨日だった、、
閉まっている門の前で茫然、、
悔やまれますが次は間違えずに参加させていただきたいと思っています。
叔父と叔母は亡くなるまで養正市営住宅で暮らしていました。
よく遊びに行った団地の部屋は本当に狭かったなあ。
狭い部屋を叔母は居心地良く整えていましたが、叔父は読書と骨董集めが趣味で狭い部屋は叔父の本や壺や仏像でいっぱいになっていました。
二人は晩年、綺麗に建て替えられた21号棟に入りました。
叔父の体調が悪くなり、入院するのに私が迎えに行き、車椅子を押して玄関に出ると、隣りのおじさんが泣きながら見送ってくれました。
従兄弟は遠くの町で暮らしています。
早くその地を離れたいと思わせる厳しい差別があったのは事実で、団地は空き部屋が目立っていったのです。
生まれた場所やジェンダー、国籍、年齢、障害、さまざまな理由で差別を受けた時、当事者は一人で受け止めて黙って時間をかけてその悲しみと向き合っていることが多いのではないかなあと思うのです。
自分はそうだったなあと思うのです。
声にしたり、ましてや行動したりするのは社会的な繋がりがあってこそできる。
もうすぐ水平社100周年。
大叔母が嫁いだのは西光万吉さんのいた村で、大叔父は水平社設立に関わりました。
私は解放同盟には関わらずに、ラングストン・ヒューズの詩集を読んだり、キング牧師の本を読んだりして憂鬱な10代を過していました。
差別に対してアクションを起こすためには社会的な繋がりが必要、だけどなんだかハードル高くて、入り口が見えにくくて、自分が何処に行けばいいか、わからなかったのです。
差別が無くなったかというとそんなことは無い。
そんな中、町が変わろうとしています。
新しくなる町の中に、遠くからでも見える灯が作れたらいいなと思うのです。
遠くからでもよく見えて、ハードルが低くて、入りやすくて、誰でも来たい人は来れて、心配事や悩み事、他愛ない話し、いろいろな話しを安心してできるような場が出来たらいいなあと。
悲しみや怒りや愛情がたっぷり染みついた町に、そんな新しい場を作れたらと思って、参加してみなさんの話しを聞きたかったのに日を間違えた。

今、京都市各地で進む再開発計画や再生計画。市民参加と丁寧な議論が必要なのだけど、なんだかあっちもこっちもどんどん進むなあという中、このミーティングは貴重だと思うのです。次回こそ参加したい。

※養生市営住宅は京都市の同和対策事業の一環で昭和30年代から50年代に建設された団地です。京都市は再生計画を進めている。https://www.city.kyoto.lg.jp/tokei/cmsfiles/contents/0000283/283270/yousei.pdf

※ミーティングの主催は、養生学区各種団体連絡協議会さんと、かもがわデルタフェスティバル実行委員会さん。オブザーバーは京都市住宅室すまい作り課。

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