高校入学までの流れ(スポーツ推薦ver)

(1年前の記事のリマインドになります)
 皆さんおはようございます!いかがお過ごしですか?

コロナウイルスに負けずに頑張っていきましょう!さて今回は自分の中学時代から高校進学までの流れを話していきたいと思います。最初の数回は自己紹介を踏まえて自分の話をしていきたいと思います。いきなり変なことを語りだされても誰やねんこいつってなりますからね(笑)読者さんにも自分の事を分かってもらったうえで記事を見てもらいたいですからね(笑)

それでは今回の主題、私の高校入学までの流れを話したいと思います。

私は中学時代部活動ではなくクラブチームに入っていました。それは単に中学の部活動に魅力が無く、クラブチームに入るという当たり前の流れがあったからです。そしてセレクションを経て、名東クラブという愛知県では名の知れたチームに入ることができました。今回CSKAモスクワからベガルタに戻ってきた西村拓真選手も名東クラブの出身です。私はこのチームでプレーしていた時間が人生の中で1番楽しい時間でした。素晴らしいスタッフ、素晴らしい仲間に出会えて本当に最高の3年間でした。是非皆さんの子供は名東クラブに入れてあげてください(笑)名東クラブでは中学1年の頃に愛知県u13リーグ優勝、中学2年の時から1個上の代でプレーさせてもらい、東海リーグや夏の全国クラブユース大会を経験させてもらいました。中学3年の時も高円宮杯愛知県大会優勝と勝つ喜びを学ぶことができました。リーグ戦の失点数は18試合で僅か12失点だったのを覚えています。(笑)

そして高校の進路を意識し出したのは中2の夏。自分が出場していたクラブユース東海大会をたまたま自分が行く事になる高校の監督が見ていて、そこで少し注目してもらえるようになりました。その時期から私はその高校に行きたいと思うようになり、努力しました。そして正式にオファーを頂いたのは3年の春です。他の高校の監督さんも気にかけてくださっていたので進路には非常に迷いましたが、当時の私は愛知で1番強い高校に行きたいという思いが強くその高校に行くことを決めました。今考えるともっと将来の事を考えて進路を決めるべきだったと思っています。ですが後悔はしていません。

進路が決まった私は有頂天になり3年の1学期には38あった内申も3学期になると30まで落ちてしまいました。これは本当に後悔している事で、スポーツ推薦を貰えたからって何も偉くないし、勉強しなくて良い理由には全くなりません。今戻れるとするならこの時期に戻って真剣に勉強に取り組みたいです。

1月になると無事入学も決まり、高校への練習参加の許可が出ました。初めて高校の練習会場に行くとそこには衝撃のグラウンドが待っていました。なんと練習場はテニスコート2面しかないスパイク利用禁止のグラウンドだったのです。練習参加した時は人工芝のグランドでプレーしたので何も思いませんでしたが、初めて高校のグラウンドに行った時はかなり落ち込みました(笑)これは自分の高校選びの軽率さが出てしまいました。

数回練習を行った後、新1年はそれぞれのカテゴリーにグループ分けされ最初自分はAチームに入れてもらえました。しかし同時期に行われていた国体の活動で怪我をしてしまっていたので思うようにプレーできず悔しい思いをしました。

余談ですが、この時期にしっかりプレーして活躍した同じポジションの垣智也君は夏のインターハイまでスタメンでとても活躍していたので羨ましかったです(笑)

こうして怪我人という形から僕の高校サッカーがスタートしました。

次回は高校サッカーをまとめます(笑)

最後までお読みいただきありがとうございました。


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