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広島と長崎

本日は8月6日、広島の原爆記念日です。9日は長崎。

俳句をやるようになって広島と長崎ではなくヒロシマ、ナガサキと表記すると特別な感じを出せるというのがわかりましたが…

私にとっては両親のふるさとなのです。
母が広島出身で父が長崎出身。どちらも大阪に出てきて知り合った。
今はどちらにも実家はなく、里帰りすることもないのですが。

母は瀬戸内海に浮かぶ小さな島の出身で、父は長崎市内からはほど遠い空港のある街の出身なので、どちらも原爆とは全く関係がありません。

ただ、私の中では両親の出身が広島と長崎というのはなんかあるのかなぁとずっと思ってました。

中二の文化祭の展示で私のクラスは戦争展をやることになりました。よくあるそういうの好きな国語の先生が担任だったので。笑 クラスをいくつかに分けて班をつくり班ごとのテーマに沿って展示を作る。私は当時流行っていた悪魔の飽食という本にかかれていた731部隊、人体実験の班でした。どんな班や。笑 人骨を模すために豚の骨をそれらしく加工したりといった全くもって戦争とは…などと考えない作業ばかりをしてました。段取りの人なので、私の班は着実に仕上げていたのですが、原爆班は広島の模型を作り、そこに亡くなった人の数だけのマッチ棒を燃やして展示するというのをやってたのですが、このマッチが燃やしても燃やしても間に合わない。みんなで手伝ったのですが、結局当日までには間に合わなかったように記憶します。

焦げ臭い教室で戯れ言の中、作業を進めてましたけど、本当は怖かった。

これだけの人が一瞬で全員居なくなったのか、と。

何人もが何日もかけて擦って焦げたマッチの数、いや、間に合わなかったのでそれ以上の人間が一瞬で黒焦げになったのかと思うと。

マッチじゃなくて、人間なんだよなぁと。

両親のふるさとなので、どちらの資料館にも行った事はありましたし、ハッキリ言って見たくない、ですよね子供にしてみれば。その割にはピンと来てなかったのが、実際に自分の手を動かして、数を体験してみたらそのすごさがわかりました。

あれから何十年経っても、焦げ臭い教室でマッチを擦り続けた事はこの日になると必ず思い出します。

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