聞いてみるもんだ
先日、母とランチを食べました。
ここ最近(二年くらいね、疫病の関係で)実家でおやつを食べることはあっても食事まではしなかったんです。
けど、母のお誕生日の御祝いもしてないし(喜寿なのに!)外でちょっと豪華なランチでも食べに行こうかと思って誘いました。
父が居ないので笑、いろんな話をしてたんですけど、ふと
「あ、うちの女紋って揚羽蝶やん、あれ、平家の紋やで、平家やったんかな?」
「そうやろか?」
「おばあちゃん、何処の人なん?」
と、尋ねてから、今まで全く聞いたことのなかった母方の祖母の話を聞くことに。(女紋は祖母→母→私と女性が継いでいく紋のことです)
これが、すごくて。笑(笑い事ではないですが!)
祖母は私が生まれて二ヶ月で亡くなったのでたぶん五十代(四十代かも)で亡くなったんじゃないかと想像します。早いよね…もちろん私には祖母の記憶は全くありません。おじさんの家にある仏壇の写真一枚のみ、です。
その短い生涯、ざっくり聞いただけですが苦労ばかりという印象。
まず、足が悪かったそうです。ずっと片足を引きずってたらしく、それで小さい頃はひどくいじめられたそうです。それで親がこの子は手に職をつけなあかんと洋裁学校に通わせてもらって洋裁(縫製)の仕事をしてたそうです。ちなみに母もずっとミシンでニットを縫う内職をしてたので、祖母を見てたからかもですね。
そこに、祖父が現れる。笑
祖父には四人子供が居て、妻に先立たれた。
なので次の嫁を探してたそうです。(もちろん子供の面倒をみてもらうためでしょうね)縫製工場だと女の人多いだろうとの事で物色しに来たんじゃないかと母。笑 で、足の悪い祖母をみつけ、これならよそにいかんやろうと言う事で結婚。祖母との間に母を含め四人の子供。
「じゃ、おかあさんは八人兄弟ってこと?」
「…そうなるな」
母もあまりピンと来てない感じ。笑
もうその時には上のふたりくらいは自立してたみたいで一緒に住んではなかったみたい。向こうの一番下の女の子は母に一番懐いていたけど、よそにもらわれて行ったそうです。…そんな時代なのか。
「だからお母さんいろいろ苦労したけど、おばあちゃん見てるからまだあれよりマシやと思って頑張れた」
あの…これ言うてる母も私からするとえらい苦労してるんですよ。
だって私が生まれたのが母24歳。24歳で初めて子供産んですぐに母親が亡くなる。それだけでも大変じゃないですか?いろいろ聞きたい事もあったやろうに。面倒みてもらうなんてこともできないし。しかも私、小さい時、体が弱くて。小児喘息だったのでどれだけ病院に駆け込んだことか…申し訳ない。
「ほんで、あとふたり子供生まれて、あの亭主やろ?(父のことですが笑)」
「せやなぁ笑」
働かない(ちゃんと一ヶ月働いたのは私が生まれた後の一ヶ月だけだそう笑)上にギャンブル好き、貯金は勝手に使うし、借金もする。
本当、お酒飲めなかったことだけが救い。
これでお酒飲んでたら、絶対、暴力もふるってたと思うので離婚確定ですが。
どっちが良かったのか…笑
子供三人と出来損ない笑の亭主を抱えて、それでも「まだマシ」って思えるってどんだけなん、おばあちゃん!
なんか、ひとりで気ままにしか暮らしてない自分がえらくダメ人間に思えてきました。ごめんなさい。
それからいろんな話を聞きましたが、これからも時々話を聞こうと思いました。単純に面白いし。記録しておかないと誰も覚えてないことになるし。
それでも、私が父の悪口言うと「まぁそう言うたりな」とかばうあたり、男と女はわからない。笑
お口直しに。笑 これ、近くの和食のお店。可愛いおひなさまも飾ってました。おひなさま大好きなのでうれしい。お店の前には桜があるのでまた桜の咲く季節に母とランチ食べに行こう。もうすぐ。笑
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