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なるほど…

先日「らくごのお時間です」にたーさまが出てました。
ロケをしてそれを元に落語を作るという。
ロケでは「腹の立ったこと」をインタビューで聞いて回っていたのですが、みなさん「腹立つことないなぁ」といった感じで、みなさんの腹立つことを元に落語を作ることは諦めた、という内容でした。

私はこれをみてて、ああ、そうだろうなと思いました。
今の人達ってそんなに怒ってないよなと。
良い意味で穏やか、悪い意味だと感情の起伏があまりない?

それと…もちろん、個人的にいろいろと腹の立つことはある、でしょう、そりゃ人間だもの。笑 けど、それをテレビという公で公表するのははばかられると思っているのではないのかと思います。
カメラなしなら喋ってくれたかも。笑
いや、それでもやっぱり、ないかな。

で、Xでそれ(みんな怒ってない)について「すごく怖かった」「愕然とした」というポストをみかけました。
私はそのポストに驚きました。
そんなもんでしょ?今。世の中の人たち、聞かれてすぐ答えられるほど怒りに満ち満ちてないと思う。

で、この前の落語会で銀瓶さんがたーさまに
「寝るときに今日はいい一日やったな、しあわせやったなってことないの?」
との質問に
「そんなやつ噺家にならないでしょう」
さらに
「聴きに来てる人も嫌な事あって笑いたくて来てるんでしょう?」と。

この発言もすごくショックで。
私はそんなこと、全くないのになぁ…
嫌な事あるから笑いたいと思って落語聴きに行ってない。
ただ落語が好きなだけなのに。(まぁ贔屓からするとたーさまの落語が好きなだけ)

私、お布団に入って眠りに付く時には決まって
「わ〜今日も楽しかったな〜なんてしあわせなんだろう」って思うんです。自然に思ってしまうんです。

お風呂に入って身体はぽかぽかだし、お腹も減ってないし、どこも痛い所も痒い所も笑ないし、やった!素晴らしい!しあわせ!ありがとう!すやぁ〜となる。笑(この間5秒笑)

これがどこか痛かったりしたら違うのかもですが、たとえ、その日にすごく嫌なことや悲しいことがあったとしても、眠る時には忘れてて(まぁその程度の嫌なことってことかもですが)しあわせに満たされて眠る。

ただ。笑
最近はリビングでうたた寝てしまうので、この多幸感を味わうことはあまりないのですが…(ちゃんとして!)

絵や歌などで、これまでにも、どこかしら「壊れた」所や「影」や「傷」がないとダメとか、ハングリー精神だとか、満たされてる人の生み出す芸術は面白くないとか言われてきたように思います。

私が満たされてるのかはわかりませんが(それは私がそう思えばそう、他の人からみたら不幸だとしても笑)私は怒りや憤りを抱えて、それを作品にぶつけるようなことをしたことがないので、ああ、私は絵や歌はダメなんだなとずっと思ってきました。
絵とデザインは違いますし。

けど、この頃は「それでもいいのでは?」と思うようになってきてます。
私は満たされた人のしあわせな芸術、観たいなぁと。

そもそも個人的な怒りや憤りや弱さを大好きな歌や絵に込めたくないんです。

それは別のところでやればいい。
芸術と関係ないところで。

だって類は友を呼ぶでしょ?
そういうのを込めるとそれに共感する人たちが集まってくると思うんです。
私は嫌だなぁ…そういう集まり。

大好きな歌や絵には愛だけを込めたい。笑
したら愛に溢れた人たちが集まってくれると思う。

元々ゴッホとか苦手なので…
いや、そういうのもあっていいけど、満たされてるのがあってもいいんじゃないの?と。
多様性の時代だし。笑
好きなの選べばいい。

配信で観てたからまだ大丈夫だったけど、その場に居たら違和感あったかなぁ。
「嫌な事あるから来てるんでしょ?」って言われて私は笑ってられたかな?

私は普通に楽しく暮らしてて、更にハッピーな気分になりたくて落語聴くのだけどなぁ。
だから落語聴きに行って嫌な気分になるのはホントに違うのだけど。
なんかちょっと嫌な気分になったので。
会長選挙の話も好きじゃないしなぁ…

困る。


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