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意外な所からきく

訃報でした。

LINEでね、久しぶりのマダムから「残念でしたね」と。
昔、レッスンを受けてたシャンソンの先生の具合が悪いとは聞いてたんですが…
年齢は非公表にはしてたけど多分ひとつ上くらいなだけだと思う。
早いよなぁ。

私にとっては先生、と言うより、なんかおにーちゃんみたいな感じでした。本当のおにーちゃんと言うより、気のいいおにーちゃん。笑
兄貴って感じでしょうか?
よく考えたら私の周りには年下の男の子か、おっさんかしか居なくて、おにーちゃんと言う存在は先生くらいしかいなかったかも。

先生には嫌な思いはなかったなぁ。
いつも守られてた。
私よりずっと綺麗な顔してたけど、心はすごく男らしかった、と思う。笑
自分がした嫌な思いを生徒には絶対にさせないって感じでした。
私を歌わせるのもちゃんと場所を選んでくれたんだと思うんですよね、ベストな所で歌わせてくれようとしてたような気がする。まぁ確認したことないのでわかんないですけど。いい加減に扱われてると言う印象はなかったので。

あ、えっと。
まず、NHKのカルチャースクールでシャンソンを習い始めたんです。この時は女の先生。女の人に習った方がいいだろうなと思って。
そのうちに着付けで仲良くなった友人のお母さまがシャンソン歌ってるって言うのを知って、と言うか、お母さまが私がシャンソンを習ってるって知って。「そんな先生に習うんなら(ひどい笑)この人に習い!」と紹介されたのがこの先生。(お母さまは先生の大ファンだったので)しばらくグループレッスンに通ってて発表会をみた先生のマネージャーから「いずれ先生と一緒に(前座で)シャンソニエ(シャンソンを聴かせるライブハウス)で歌ってみませんか?つきましては個人レッスン受けませんか?」と言われたので、NHKを辞めてこの先生の個人レッスンだけを受けるようになった、という経緯です。けど、結局最後まで先生の前座で歌うことはなかったのですが。デビューもいい形でと思ってくれてたと思うんですけどね…意に添えずに申し訳なかったな、と思います。

先生のことは全然嫌じゃなかったのですが、先生の周りが嵐だったので。笑
もう無理、と思って辞めたけど。(先生は男の人ですが、周りは先生のこと大好きな女の人ばかりで、もう大変でした。笑)

私が辞めてからもずっと先生に習ってる友人がいて。彼女はもうデビューして先生と一緒にシャンソニエで歌ってるシャンソン歌手なのですが、年に二、三回くらい逢う度に「また歌う気ないの?」「もうライブせえへんの?」って言ってくれて。その度にまたレッスン受けようかと考えて、でも「やっぱり無理!」と思い続けてきたのですが。

今回、先生入院してるって聞いて、もし元気に帰ってきたらまたレッスン受けようって思ってたんですけどね。

長年、肺を患ってたらしく、きっと苦しかっただろうと思います。
もう苦しくなくて自由に歌えてると良いな。

あと、大好きなお母さまと妹さんにも逢えてると良いな。
けど、先に逝ったファンのみなさまがお待ちかねなので早速ライブしてるかもしれません。

ご冥福を。

先生との思い出の曲って何かなぁと思ったのですが…いっぱいあるので一番最初に発表会で歌った曲にします。mina半ダースのバラ。原曲初めて聴きましたが、こんな曲やったんか。笑
シャンソンじゃないけど。笑(イタリアの歌なのでカンツォーネ)
そして、歌う歌は割と1969年に作られた歌が多い。同い年。笑


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