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ボランティアって

先日、久しぶりの友人と話をしていて、音訳の先生の事を聞いてもらいました。

「毎回、駅まで送っててんけどな」
「なんで?」
「危ないから」
「そんなん!その人にとってはそれが当たり前なんやから送らんでええよ」
「…そうやねん、後で気付いた。私は見えてるから「危ない」って思うけど、そうやねんなぁ…それが当たり前やねんな。(危ないのが当たり前っていうのもどうかと思いますよ、もちろん)それやのに毎回「送っていきます」って付いてきたら誤解するかもやなぁ…」
「せやで」
「でも結婚してるから安心してたのに…」
「そんなん!関係ないよ!」

そうなんですって…関係ないんですって。
私、どんだけぼんやりしてんねんと思いました。
結婚してたら他の人とどうこうなんて考えないだろうと信じて疑わなかった。まぁ全員そうならこれだけ不倫が横行する訳がないですよね…。
でもね、普通の人と違う訳じゃないですか。私、普通の人でも「嫁の洗ったパンツ穿いて不倫するなんて頭がおかしい、あり得ん」と思ってる所にパンツどころか、どれだけ嫁に世話になってるかわからんのに…とね。そのこと思ったら他の女の人にちょっかいなんて出す訳ないやろうと。
…まぁ私の考えが甘いんですね、据え膳はどうやったって喰うのでしょう。据えられてなくても匂いしただけで食いつくのでしょう…少ないチャンスだから???わからない…全く理解できない…。けど、そうなんだなと思って次からは色々警戒することにします。

でね、この友人も若いときから点字を習ったりボランティアには積極的に参加してる。してるけど、このクールさ。笑
私、ボランティア活動してる人って優しい人なんだろうなぁと思ってたんです。けど、今、音訳に居る人たちは違う気がする。笑 いや、優しいのかもしれません。でも、前に先生が「もし来週なんば方面に帰る人が居たらOCATの長距離バスのりばの案内をして欲しい」ってお願いした時、誰も「では私が」とは言わず(もし、あんなことがなければ、反対方向ですが私が送って行ったと思います)唯一声をあげた人の言葉が

「四つ橋線一本なんで、すぐわかりますよ」

ひどいなぁと思いました。
私、目が見えててもOCATの長距離バス乗り場で自分の乗りたいバスをスッと探せる自信はない。全くない。ましてや…です。
先生もお願いするのはよっぽどだと思うんです、それなのに、です。

定年して時間があるし、声には自信があるので声を使うボランティアでもしてみるか、だと思います。最初の授業の自己紹介の時に涙ながらに「孫の目が悪く…」「友人の目がどんどん見えなくなる病気で…」と語ってた人たちも自分のすぐ側の事なら尽力をするのでしょうが、それ以外は見えてないのでしょう。もしくは、もう音訳をやってる(正確にはまだ役立ってはないです。勉強中なだけ)から、それで良いのか…。けどこの人たちはやたらと「今のみんなと勉強出来て良かった」的なことを言うのです、が、私にはそれが判りません。笑 お金持ちのお遊びではないのかなぁとちょっと思ってます。まぁでもお金持ちのお遊びでもなんでもボランティアやろうって思うだけでいいですけど。

本当のやさしさってなんでしょうね。

ボランティアってね、わたし的には義務というか、当たり前というか、自分より困ってる人が居たら助けるっていうのはこれはもう当たり前じゃないですか?だから偉くもなんともないと本当に思ってます。当たり前。普通。時間のある限り、目の不自由な方が居ればお手伝いしたいと思ってます。これからは女の人中心にしますが…。(ちなみに、これも本当に最悪なのですが、逆パターンもあるみたいで。目の不自由な女の人ひとりでエレベーターに乗ってるとわざとふたりだけになる男の人とか…地獄に堕ちると思います。ていうか、もれなく堕ちろ。笑)

自分の食べるごはんもないのに、誰かにごはんを分けてあげられる人が本当の聖人だと思ってます。
そんな時に本当に試されるのだなと思ってます。
わたし、ちゃんと出来るかなぁ。
どきどきする。笑

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