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58.31314 第60回 親子(3)

【8分58秒】(全体37分1秒)

その反面、今度、父親の話になりますけど、めっちゃ、優しい人でしたね。まあそれは今もそうなんですけど、もう本当に怒られたことなかったですよね。

だからといって、じゃあ、そんなにベタベタしてくるような感じでもなくて、いつの間にかあれこれやってて、「おぅ、やるか」みたいな感じで。なんか知らんけど、グローブいじってんなって近づいてったら、「キャッチボールやるか」つって、キャッチボールしてくれたりとか。土日になると、「今日、釣り行こうと思うけど、お前行くか?」って言うから、「あ、行く」って言って、それで一緒に釣りしたりとか。

何か不思議な感じでしたね。そんなに積極的に、あーだ・こーだっていうことを、誘ったりとか教えたりってするんじゃなくて、釣りで「お前もやるか?」みたいな感じで。

手取り足取り教える感じでもなくて、「とりあえず、こうしてこうする。はい、どうぞ」みたいな。で、それも別に、「それは良くない」とか、「こうやるんだ」っていうふうに、言うわけでもなく、見て覚えろみたいな。ま、さすがに訊いたら教えてくれるけど、基本的には、あんま・・・難しいな、ほど良い距離感でしたね。

だから、私が反抗期になっても、『お父さん、うぜえ』みたいな感じじゃなくて、私が勝手に、パソコンいじくり回しまくるみたいな。それも別に、「やり過ぎだ」とか、「やめなさい」っていうふうなことも言わずに、『あ、今、そういう時期なんだろうな』っていうふうに、公認してるような感じでしたね。

まあそんな感じだったから、私も、父親がやることは一通りできるようになってましたね。

釣りだとか、スキーとか、炭おこしてっていうのもそうだし。そうあと、うちの父親、ギターもやってたから、「あ、じゃ、やってみよう」って言って、「ギター欲しい」つったら、「よし、買いに行くぞ」つって、買いに行って、カントリー・ロードのコード譜渡して、「これ一通り弾けたら、なんとかなる」みたいな感じでしたもんね。

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まああと、服とかも別に、女の子だからどうっていうことも、言わなかったしね。母親は割りと、あれこれする人の反面、父親は、何だろう?、あまりしないって言い方とは違うんですけど、そう、あまり干渉しない。そういった意味では、両親として、子供からすると、良いパワーバランスだったんだなあと思います。

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まあ、そんな親2人の元、私がうつ病になりましたと。

まあうつ病っていうか、最初に出たのは拒食とかですかね。それももう、ストレスからくる逆流性食道炎だったっていう話なんですけど。

元々ふくよかで、まあ、食う量も結構多くて、とは言え、それが普通の量になったっていうわけではなくて、もう更に、ずっと少ない量に減ったし、こっからちょっと、私の異常なまでの、こだわりみたいなのが出てくるんですけど、例えば、揚げ物の衣を剥がして中身だけ食べたりとか、油をティッシュとかで吸わせて、食べ始めたりとか。

で、更にカット野菜で、キャベツとか、そういうのを大量に食い始めてかさ増しさせて、ご飯とか、油物とかを食べなくていいようにするっていうので、もう見た目と共に、行動もなんかおかしなことになっていくなぁと。

特に、メシ作るのは、ご飯作るのは母親で、兄2人も、もうその頃には、家でて、ご飯3人分用意するわけですけど、誰かどれくらい食べて、どれくらい食べないっていうのも、明らかだったんですよね。娘の、ふくよかと言うか、太ってた見た目から、だんだん痩せていくどころか、やつれてって、それをずっと見てるから、やっぱり、あれこれ言ってくるわけですよ。

もともと、そういう性格でもあったんで。「もうちょっと食べなさい」とか、「それで終わりなの?」とか。

これも別に、怒ったりとかじゃなくて、心配するような感じで言ってくれるんですけど、特に油に関して、その異常なまでに拭き取ったりとかしてたから、「魚の油は、体にいいから、摂った方がいいんだよ」とか。

あとはもう、油、本当に色々やってくれましたね。オリーブオイルとか、ごま油なんていうのは、香りづけとしてもいいし、体にもいいしっていうことを言ってきたり、サラダオイルじゃなくて、何だっけな?、グレープシードオイルっていうのが、当時、片頭痛も出てたので、グレープシードオイルっていうのは、その「片頭痛にも、いいらしいよー」とか、言ってきたんですけど。

まぁ、あとは、そん時は、自分が何も言わずに、自分の中で、勝手にこれをNG食材とか、油ダメみたいな感じにしちゃってたから、困惑させて、まぁ、そういうふうに色々言ってきたんだと思うんですけど、もう、なんなら、油どころか、炭水化物、ちょっと食べ過ぎただけで、食べ過ぎたつっても、普通の量、食べただけで、もう逆流性食道炎の症状が出ちゃって、胸焼けがひどかったんですよね。

それを言わないで、ずっと拒否って、見た目ガリガリになってたから、これは私がちょっと悪かったかなと思いますね。いろいろ心配させて、そういう事を言わせてしまってたんだなあと、今振り返って思います。

まあその後にね、ようやく、なんかのタイミングで言うことができて、病院行ったりして、そこで「逆流性食道炎だね-」つって、「原因第1は、ストレスだと思うんだけど」って言われて、「あ、それですわ」って、親子でなったっていう話なんですけど。

そのあとに、自分のものは自分で作るようになって、私がまず、行動が変わって、で、したら母親も、やっぱ変わってきましたね。

もう、あれ食え・これ食え・食わないの・これは体にいいからっていうのを言わなくなって、代わりに、「これ食べられる?」とか、「これちょっと多めには作ってあるから、食べたいなら食べな。食べなかったら、お弁当、明日のお父さんのお弁当のおかずになるだけだから」みたいな感じで、言葉が変わりましたね。

ちなみに、父親はね、ずーっと何も言わなかったですね。太ってた身体から、やつれてって、異常行動みたいのが出ても、もう何も言わなかったです。

絶対気づいてましたし、多分、私がいない時に、親2人で「最近、あの子の様子は」っていうのに話してたので聞いてたとは思うんですけど、昔も今も、なんも言わないですね。

たまに「これ食えるっけ」って言われて、私が「あ、それちょっと、食えんわ」って言うと、その後は、特に理由なんかを訊いてこないで、「あー、そうだったんだ」つって、「そうか」つって、終わる人だったんですね。

なんだろう?、会話をしないっちゃしないけど、お互い気づいてるけど、干渉しないっていう感じでしたね。


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