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空區地車の力学その84.神戸の地車への誉め言葉は「強い!」だ

神戸の地車は、岸和田の地車のように「速い」が褒め言葉ではない。
一番の褒め言葉は「強い」だ。
なぜなら神戸は坂の街で、全速力で飛ばせる道がほとんどない。
したがって坂道でも止まらない「強さ」と、下り坂でも止まる「強さ」が求められる。
そしてその強さは、曳き手の絶妙なバランスで成り立っている。

バランスは、3つの力により、良くも悪くも地車に影響する。
➀自分自身に起因するもの
➁他人(他の若中)に起因するもの
➂自然現象に起因するもの

大前提として、そもそも己一人では重さ4トンの地車はうんともすんとも動かない。
しかし、➀の自分がサボっていては動かす力は不足する。また➁の自分以外の人がサボっていては、自分1人が一生懸命曳いたとて力は不足する。さらに➂の雨や晴天、上り坂や下り坂、広い道や狭い道、段差やマンホールなどの障害物。➂は人の力ではどうしようもない条件だが、この➀➁➂が重なり、絶妙のバランスで嚙み合った時に最高のパフォーマンスが生まれる。
自然現象はあきらめるしかない。または経験で回避するしかない。
しかし自分のヤル気や体調、そして他人のヤル気や体調は一見避けられるような気もするが、一筋縄でいかないのが現状だ。
これはなにも地車の巡行に限らず、会社や家族でも同様に当てはまるし、同様に解決するのは難しい。

それを一つにするために地車ではお囃子(鳴り物)で「曲がるよ」とか「バックするよ」とか「力を入れてね」と合図を出して気持ちを一つにしようと試みる。ただし、あくまでも試みであって、鳴り物で意思が統一されるかは誰にもわからない。
曳き手一人ひとりの集中力、瞬発力、持久力、決断力、傾聴力、協調力などから強さが生まれるのは言うまでもない。
地車を1日中曳くのは大変だ。短距離走の様に爆発的に体力を使っていては1日持たない。どちらかというと長距離走の様に粘りと持久力が求められる。
では1日中曳くには・・・ズバリ!適度にサボるのが良い!!
つまり、誰かが一生懸命曳いている時に、誰かがサボる。つまりプラスマイナス0であれば常に同じ力がかかり続ける。理想的だが、現実はそうは問屋が卸さない。
まず観客がいると、たいてい曳き手はテンションがあがる。最大MAXは宮入りだが、狭い道、飛ばせ、三礼、ちどり、張って曲がるなども盛り上がる。
もっともこれらの所作の時にサボっていては、にっちもさっちも地車は動かない。

寄付をいただいたら「三礼」をする

サボりのおすすめは道中だ。鳴り物も「道中」の音頭になる。
しかし道というものは、平坦に見えても、微妙に上りあり下りあり、まっ平らな道などこの世に存在しない。あたかも人生のように。
特に上り坂で一旦地車が止まると、再始動時に爆発的エネルギーを要し、かえって疲れることになる。上り坂で地車を進める時は、ジワジワでも曳く方が結果的にラクだ。上り坂の途中で信号機が赤の場合でも、停止車線ギリギリまでゆっくりと進めるのが肝要だ。
がしかし、上り坂に限って人はサボりたくなるものだ。少し力を緩めてだけでも全員がサボれば地車は止まってしまう。

平坦に見えても真っ平の道はない。
そう考えるとサボるタイミングを知るのは相当経験を積まねばならないが、そこまで至っていない若中は自分のタイミングで力を抜いてしまう。そういう若中がいればいるほど、簡単に地車は止まってしまう。
そこでベテラン若中が声をかける。
「さー、押して、押して、押してー」と。
それに合わせて一堂「押して、押して、押して」と続く。
これでサボりかけた若中が目を覚まし、危うく止まりかけた地車が息を吹きかえして進む。
掛け声には力を出さすチカラがある。

夜の地車は提灯の火がともり美しい

実はこのブログは「少しでも地車がうまく曳けるように」「安全に巡行できるように」との思いから始めた。特に平成世代は、自分から教えを乞うこともないし、とにもかくにも怒られるのが苦手である。そこでブログならと思ったが、文章や写真、動画ではその想いを形にすることはできないと最近感じ始めている。
なぜなら、こうすれば必ずうまくいくという方法がなく、わりあい結果オーライなのだ。
やっぱり、叱られたり、失敗したりの経験と、イエ~イという成功体験が一番なのだ。ただし、成功体験だけしたいと念じても必ず失敗がつきまとう。
とはいえ、あんなに興味があって参加したのに、一度の失敗や叱られると落ち込み、急に億劫になるという人も多い。
だから適度に聞き流し、適度にサボる。自分の心からひとつずつ「欲」や「劣等感」を捨てていき、自分を大切にするしかない。

道に平坦な道は一つとしてない、その道を地車が進むには押すだけではなく時には引き、時にはジタバタしてもよい。だが一旦止めてしまうと、次に動かす時に途方もない力がいる。例えダラダラとしか進められなくても、止めずに進む「強さ」を持たねばならない。
やっぱり、なんだか人生のようだ。