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話せばわかる

(以下、敬称略)

犬養毅のことばとされる。
しかし、彼はその後、日本軍の若者に「問答無用」と撃ち殺されてしまう。

思い出すのは、勝麟太郎と坂本龍馬。
状況はほぼ同じであった。
しかし、坂本龍馬は帰った。殺さずに。

どちらにも、それなりの「正義」があったはずだった。
しかし、若者の名前は後史に残らず、坂本龍馬は残り続ける。
敵に対する「傾聴の姿勢」の有無。
たった一点が違いを生んだ、と思う。


それなりのひとでありたいなら。
相手の反応をおそれ、極端な行動に走る前に、直に話すべきではないだろうか。

はなから「他はどうでもいい」「自分(と大切な人たち)さえよければいい」を多用する人たちは、利得を共有しない他を動かすことはできない。

戦国時代、江戸時代末期に人気が集まるのは、それまでの「当たり前」が存在しない状況で、それぞれの信念をもって、他とぶつかり合いながらも必死で生き抜き、後世に続く土台をつくったから。敵や自分の言う通りにならぬ他を消して、終わりではいられなかった。

仮に、そんな人物が居たとしても、前述の通り、私たちが知らない存在である。


以上、自分と異なる他に対して、「傾聴の姿勢」を持つことが大切であると感じた出来事であった。