暖かい先生の言葉で、1度は落ち着きを取り戻した僕ですが、圧倒的なステロイドのリバウンドに、再び僕の心と体は、制圧されます。








寝れない、
とにかく寝れない。







3ヶ月ほどたち、確かに感覚的には少しかゆみは減ったような気はする。
しかし、焼け石に水。僕の中では寝れない日々が続いた。








人間、寝れないとこうも辛いのかと心底思った。
夜が怖い。
またあのかゆみと痛みに耐える時間が怖い。









しかし、是が非でも良くなりたい僕は、それでも耐える。

耐える。

耐える。





限界が来た。







ステロイドに戻ろうか、、、







母親に電話した。








今の辛すぎる状態を話してなかったのだ。






僕は、自分が本当に限界になるまで、人に悩みを話さないため、僕の母親は僕が限界を越えていることを悟ったと思う。







母親は、そんな僕にソイジョイ(たんぱく質豊富なおやつ)を送ってくれた。







嬉しかった。
モノが送られることもそうだが、
僕の事を見てくれている人がいる、
支えてくれる人がいると。
こうした、親の愛も僕の心の支えだった。
きっと、もしあの時に親から、
アトピーが悪化したことを責められていたら、ひょっとしたらこの世に僕はいなかったかもしれない。









人の苦しいときほど、人の愛が心に染みる。







とりあえず、ステロイドを再び使うことは辞めた。







僕の顔や、体はどんどん老けていった。
しかし、そんなことも考える余裕がないほど、
早く寝れるようになりたい、
あとは、留年するとその分お金がかかり、
また親にお金の心配をかけてしまう、
それだけは避けねばと命をかけて勉強した。






あの時は、本当に必死という言葉がピッタリなほど、体と心を絞り尽くして勉強した。

しかし、その状態で絞り尽くしても、
あまりにもしんどいため、結局国家試験は落ちた。
当時40人ぐらいいて、落ちたのは僕とギャルの子の二人だけだった記憶がある。

それでも、なんとか卒業試験は通ったため、
留年は避けれて、学校は卒業できた。








卒業の日、親が来てくれた。
しかし、親はおそらく僕の変わり果てた姿に驚いただろう。
僕の事を思って、そういうのは態度に出さないようにしていたとは思うが。








引っ越して、実家に帰らなければならなかったが、僕には引っ越しを出来る気力も体力も全くなかった。

親が、何から何までやってくれた。









親と、その夜一緒に寝ることになった。







僕は、夜通し首や背中を掻き続けた。







『こんな状態で、
ごめんね。。。』







僕は、
親に罪悪感しかなかった。
僕は元々浪人もしていて、
1人暮らしして、
国家試験も落ちた。
しかも、アトピーは大悪化して全く動けない体となった。







親がなんて答えたかは、覚えていない。
もしかして、悲しい記憶は脳が消しているのかもしれない。
それでも、親が心配し続けていることは分かっていた。こんな状態でも、愛してくれる親は本当に偉大だと思った。







卒業式は、写真は一切とらなかったし、
卒業旅行は、僕以外皆行ったし、
新社会人として、僕以外リハビリ職として爽やかなスタートを切った。







でも、僕はそんなことはもはやどーでも良くて、
とにかく休める
と思って、ホッとした。








とにかく、大学のある岡山から、実家の兵庫に帰省することとなった。









この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?