嫌われる勇気

嫌われる勇気を読んだ。
色んな気づきがあった。
まず、何が与えられているかではなく、与えられたものをどう使うかが大事ということ。
=使用の心理学
人間は変わらない方が楽だけど、変わる勇気を持つことは人生において最も難しく最も大切なことかもしれない。
=勇気の心理学

劣等感について、ああなりたいと本気で思い、努力と成長の刺激になるものと、どうせ自分なんてとネガディブになる劣等コンプレックスというものがあるらしい。
私は背が低いから何もできない、つまり、背が高くなったら何でもできるという優越コンプレックスにつながっている。これは永遠に不幸だ。
また、人間は同じではないけれど平等という言葉。
天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず、や、みんな違ってみんないいと同義だ。
常に周りを敵だとみなしていることよりも、いまの自分を更新し続けることの方がよっぽど幸せだ。
人格攻撃されたとき、それに乗るなというのは全くその通りで、自分が正しいと思うことを他人に押し付ける必要は無いし、論破したから勝ちということはない。昔の私は大いに反省して欲しい。

行動面
①自立すること
②社会と調和して暮らせること

心理面
①わたしには能力があるという意識
②人々はわたしの仲間であるという意識

これに対して人間関係における人生のタスクとして、
①仕事のタスク
仕事など共通の目的を持つことで繋がる間柄

②交友のタスク
目的はない、個人的な友人関係
自分が働きかければいくらでもできる
好意の返報性

③愛のタスク
一緒にいると自由にふるまえる
互いを同等の人格として扱うため、束縛しない。相手の幸せを真に願う。
恋愛は赤い糸。親子は頑強な鎖。
子どもにとって親の存在の意味を忘れてはいけない。子どもは親の所有物ではなく、1人の人間だ。

私たちは他者の期待を満たすために生きているのではない。
課題の分離。
子供が変わる手助けはする。でも行為は強制しない。変わるのは自分。というのは、親になる前に学んでいて本当によかった。

あと、自分が下した決断や、自分に対して、他者がどう評価するかは他者の問題であって自分には関係ない。というのは目からウロコの考え方だった。
いつも、自分がやったことで相手がどう反応するかを考えていて、それを感じ取り、実行するのが得意だと思っていた。
でも知らず知らずのうちにそれは見返りを求めていることにもつながっていたのかもしれない。
自分がやりたくてやったことに責任を持つ、他者の反応のせいにしない。というのは大切にしたい価値観だ。

あと、自分の人生の主人公はわたし、でもわたしは世界の中心にいるわけではない。ということも印象的だった。
他者は、わたしのために何かをしてくれる人という潜在意識はたしかにあって、非常に身勝手な考え方だったと気付かされた。
この人はわたしに何を与えてくれるかではなく、わたしはこの人に何を与えられるのか、という貢献感を持つこと、大切にしていきたい。

叱ること、褒めることは上下関係の表れ、確かにそうだ。相手に何か期待して、もっというと自分の思い通りに操作しようとして、褒めたり叱ったりしている部分も否めない。
相手に価値があること、つまり、誰かの役に立っていることを感謝の言葉などで伝えること意識していこうと思う。

他者のことを行為でなく存在で見る。
見返りを求めていたわたしには身をつまされる言葉だった。
他者を自分の理想像で見て、減点していくのではなく、ゼロから積み重ねていくこと大事だ。

自己受容。他者信頼。他者貢献。
できない自分を受け入れ、前向きに進むこと。これは私が人生の軸としている謙虚さと貪欲さにぴったり当てはまる。
変えられるものと変えられないものを見極め、変えられるものを変えていく勇気を持つこと、肯定的なあきらめも大事。

他者信頼とは相手を無条件に信じ、与えること。
これは全然できていない。
裏切られたときの心配をし続けていては深い関係に踏み込めない、というのは本当にそう。
彼が告白するという勇気を持って特別な関係を作ってくれたことに感謝したいと思うし、自分もこれから他者に対して見えてもない未来のことを恐れて関わることを避けるのは辞めようと思う。

他者貢献は、周囲を仲間だと思って、わたしの価値を実感するために行うこと。
私は誰かに何かをしてあげるとき、無意識に見返りを求めていたけれど、そんなことはどうでもよくて、他者に貢献することで自分の価値を感じられることだけで丸儲けということだ。
すごい考え方。忘れたくない。

人生において、過去も未来も関係ない。見つめるべきなのはいま、ここを生きること。
将来のことをぐちゃぐちゃ考えて行動を起こせない自分にとって、すごく胸に響いた。
旅のように、出会いを大切にし、他者を大切にし、自分を大切にできる人生を歩んでいきたい。

長くなりすぎた。