可能世界には時間の流れが存在しないかもしれない

※この記事はマンガ文豪ストレイドッグスの考察です。
小説BEASTおよび単行本のネタバレを含みます。


BEASTの太宰はなぜ未来を見ることができたのか?

まず大前提として、BEASTの太宰(以下B太宰)は「本の中に存在している状態」なので、世界自体が本であり異能であり、そこに存在するだけで触れていると見做されて、特異点を発生させることができる、と考えている。

だから生まれたとき、少なくとも自我が芽生えた時点で、記憶の受け取りは開始している。おそらく15歳よりも前から未来を見ている。

だけどここで一つの単純な疑問が生まれる。
なぜ可能世界の太宰は未来までも見ることができるのか?
彼ができると言っているのは、現実世界の太宰の記憶を受け取ること。つまり15歳時点なら15歳のときの記憶を、22歳なら22歳時点の記憶を受け取っていると考えるのが自然だ。

だがB太宰の行動からして彼は完全に未来が見えているので、仮説を立ててみた。

【仮説1】特異点を発生させて読み取ることができる記憶には時間の概念がない。

B太宰は本編太宰の記憶を一生分まとめて受け取れる。もしくは好きな時点の記憶を読み取れる。こういう設定というのは普通にあり得る。この場合、B太宰には我々の知らない未来の本編太宰まで見えているということになる。

【仮説2】そもそも可能世界には時間の流れが存在しない。

B太宰は未来のB太宰の記憶を見ることができる。
つまり15歳の時点で、22歳のB太宰が見た22歳の本編太宰の記憶を読み取ることができた。そして、B太宰が見ることができたのはB太宰が死ぬ22歳時点の本編太宰の記憶までとなる。一方、BEAST以外の可能世界の太宰は、仮説1と同じく本編太宰の生涯を見ている可能性がある。

そもそも可能世界というのは本の中に折りたたまれているものであり、すべての瞬間が同時に存在していると考えていい。
BEASTの作中で敦が院長に時計をもらったり、#4で「時は流れゆく」という描写があり、登場人物には確かに時は流れているのだが、観測者の立場に立ったときには、過去も未来も同時に存在しているように見える。(まさに本のように)
そういう世界であれば、B太宰が特異点を発生させて観測者となったときに未来の自分が見えたとしても特に違和感はない。

【仮説3】本編太宰にも未来の世界が見えている。

本編太宰も何かしらの方法で特異点を発生させて、すべての可能世界の記憶を読み取っている説。この説、割と興味深いのだが個人的には違うかなと予想。

理由① 太宰には、織田作の死とそこから先の自分の変貌も事前に見えていたことになり、黒の時代以前の太宰の精神状態に説明がつかない。

理由② 太宰の最大の魅力は彼の持前の頭の良さである。それがすべて異能によるチート機能であったならば、彼の魅力は半減しキャラクターが崩壊しかねない。(あくまで個人意見)

彼は単行本18巻で「あいつの売りは偶発と不条理だ」と言いながら某シーンを回想しているので、太宰は必然の世界を見ておらず偶然性の中に身を置いていると想像できる。さらに、太宰VSドストエフスキーの構図で二人は同等の知能を持っている設定となっており、太宰一人だけが特別に未来が見えているのは考えづらい。なので「お互いの記憶を読みあっている」という線はないと思われる。

ちなみに、本編太宰が可能世界の太宰から干渉された時「読まれていることに気づいた」程度のことはあり得るのかもしれない。


以上のことから、筆者は仮説2の「可能世界には時間の流れが存在しない」という説が最も有力ではないかと考えている。そしてその前提に立って更に考察を進めると『本』の真価が見えてきたので、『本』の機能も含めて検証をしていきたいと思う。

可能世界に時間の流れが存在しないなら『本』は創造主となり得る


おそらく、可能世界には時間の流れが存在しない。すべての瞬間が折りたたまれて存在しているだけ。頁に書き込むと、その書き込みに沿った世界が過去から未来にわたって瞬時に創造される。

考察の切り口となるのは天空カジノ。天空カジノは8日前に13年の歴史とともに現れたとされている。(注) 
たまたま可能世界に存在していたカジノに13年の歴史があったわけではなく、ドストエフスキーとシグマが条件交渉をしている中で、歴史も含めて新たな可能世界が創られたのではないかと考えている。

人が思いつくものはすべて「無限個の可能性のうちの一つ」として可能世界に存在できるし、思いついた瞬間に可能世界は創り出される。
その可能世界にはこの瞬間だけでなく、過去から未来までのすべての時系列が含まれている、ということになる。

少なくとも無機物は瞬時に創り出せるようだ。その歴史とともに。

では有機物は創れるのか?ウイルスはどうだろう?細胞や細菌は?花は?木は?動物は?そして人は?
なんとなく花くらいは創り出せそうだと思うなら、花も人間も同じ生命体に違いないので、当然人も作れると考えてもおかしくはない。

そして可能世界に時間が存在しないのであれば、頁に書き込んだ瞬間に人も生から死までの全ての歴史とともに誕生させることができる。
だとすると、シグマは本当に無から忽然と現れたのかもしれない。

人を誕生させられるなら、本はまさに神であり、創造主と成り得る。
果たしてこんなことがあっていいのだろうか。異能が神と同等なんてこと、もはや神への冒涜では?
ドストエフスキーが異能者のいない世界を創りたいと思っているのは、このことに気づいたからなのかもしれない。
無限の可能性を抱えている『本』。その『本』を巡る戦いはまだ始まったばかりである。
今後も新たな情報がわかり次第、考察に加えていきたい。


ここまでの考察はあくまでも様々な仮定の上に組み立てたものであり、もちろん前提が異なれば、この考察は瞬く間に塵に還ります。
その程度のものと、ご認識置きください。

(注):これは太宰の推論であり確定事項ではないが、ここでは一旦8日前に13年の歴史とともに創られたと仮定する。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?