言葉では語り得ないものの神聖さ

※この記事は文豪ストレイドッグスの考察です。
※映画BEASTの特典である『太宰を拾った日 Side-A』のネタバレを含みます。

『太宰を拾った日 Side-A』には以下のような太宰と織田の言葉の掛け合いが登場する。

太宰「語り得ない事については」  
織田「沈黙しなければならない、か」

『太宰を拾った日Side-A 』 P.30

これはおそらくヴィトゲンシュタインの言葉の引用だろう。

ヴィトゲンシュタインはオーストリアの哲学者であり、彼の著書『論理哲学論考』の最後の一言が「語りえぬものについては、沈黙しなければならない」であった。
この言葉はヴィトゲンシュタインが残した名言として哲学界では有名なようだ。

この言葉、どういう意味なのだろう?
Side-Aのあのシーンは読み手からしたら「いや、そこをもっと語ってくれよ。もっと聞きたいんだよ!」と思ってしまう程、あっさりとした締めくくりになっていて、この言葉で二人は死に対する議論をやめてしまった。

この言葉は一般的にどういう意味だと捉えられているのか。
ヴィトゲンシュタインは言語の限界はすなわち思考の限界だと言っていた。
つまり言語化できる事柄だけが思考という領域の範囲内にあるもの。
言葉で語れないものは思考の外側にある、なにか。語れないからといって存在しないわけではない。だが思考という領域の外に存在するものなので説明することもできない。
そういうものは神と同じように神聖なものであって、敬意を払って沈黙すべきだ。
そういう意味だと解釈されている。

二人が沈黙することにしたのは、語れないものは仕方がないという「諦め」ではなく、言葉という手段に収まりきらない神聖なものには「敬意」を払うべきだと考えたのかもしれない。

黒の時代ではルパンでの3人の関係が「目に見えない何か」として言葉による表現が避けられている。
織田も「あの場所」(=ルパン)の説明を求められたときに「言葉は信用にならない」と言っている。
そしてSide-Aでは、太宰が死を望む理由に言葉遊び以上の「語りえない何か」が含まれていることが示唆された。

ルパンを中心に繰り広げられる関係性・心情、そういったものはすべて「言葉では語りえない何か」として敬意をもって沈黙すべきである、ということなのだろう。
そして太宰が死を望む理由のうち「語りえない何か」は、別の「語りえない何か」によって払拭されていく。

たった一文だが、「言葉にならない何か」の神聖さを際立たせる、なんとも味わい深いセリフでした。


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