文ストにおける救済の全体構造について

※この記事は文豪ストレイドッグスの考察です。

文ストキャラには「虚無」属性の人と「埋没」属性の人がいる。分類してみたら、救済の全体構造が見えてきた。

虚無属性、埋没属性とは

虚無属性とは、自分の生に意味なんてないと悟り、虚無(ニヒリズム)に陥った人。そしてその中に、虚無に堕ちたままの虚無闇属性の人と、虚無を克服した虚無光属性の人が存在する。

埋没属性とは、虚無に陥ることなく、目の前の世界に埋もれながら日々を生きている人。ほとんどの一般人、ということだと思う。この中にも光と闇があって、闇は生きることに自信を持てない、生きる意味を探している最中の人。

その中間に「中間」属性の人がいて、彼らは世界に埋もれてはいないが虚無を悟ったわけでもない、まだ存在意義を模索している段階の人、と位置付けられる。

以下が属性の分類チャート。


チャートから読み取れる救済の全体構造

このチャートで一番伝えたいのは、救済の方向が限られているということ。

・同じ属性内の人はお互いを救い合える(埋没闇同士の救い合いなど)
・光属性には基本的に救いは必要ない。光属性は人に何かをしてあげることが自分の救済になっている。
・虚無闇属性と中間属性を救えるのは、虚無光属性の人だけ。
・虚無闇属性は他の属性の人を救えない。
・埋没光属性が救えるのは埋没属性の人だけ。

救いの構造はおおまかにこんな感じになっているように思う。

物語の救済は「埋没闇→埋没光」と「虚無闇→虚無光」の二つのパターンに分けられそうだ。
埋没闇の救済方法は色々ありそうだが、虚無闇の救済には「本人が虚無を受け入れる」という要素が必要。

ちなみに、埋没属性の人が何かのきっかけで虚無属性に堕ちることはあると思う。しかし、虚無属性と中間属性の人が埋没属性に戻ることはなさそう。
また、埋没光の人が埋没闇に堕ちることはあっても、虚無光の人が虚無闇に舞い戻ることはなさそう。

同じ闇属性でも虚無か埋没かを区別するのは、思考が自発的かどうかだろう。
太宰やヴェルレエヌは自分の考えで生きることに意味はないという結論に至ったが、敦や鏡花は他人から無意味だと言われたに過ぎない。
他人から言われた場合は反発してそれを生きるエネルギーに転換できるが、自分で思い至ったものには反発できないので、ニヒリズムから抜け出せず深刻なことになる。そのため救済も高難易度になる。

以上、属性の分類と救いの構造の話でした。



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