58歳バックパッカー再び②Viterboの街歩き

イタリアに来て3日目が過ぎようとしている。でもこちらに来たのが遠い昔のような感覚。Viterboという歴史的建造物だらけの小さな街に滞在している。
何をするわけでもなく、街をずっと歩いている。私がいるのは、城壁に囲まれた旧市街なので、地図がなくても何となく歩けるのだ。
至る所に猫がいる。いわゆる地域猫のようで、避妊・去勢手術済みの印、片耳がちょこっと切られている。みんなエサをもらっているので、丸々としている。石畳の細い道を車がかなりのスピードで走っている。私が大好きなFiat500やSmartの車がそこかしこにある。
今、滞在させてもらっているMさんのアパートはその昔は修道院だったらしく、部屋の壁や床、梁は当時(12世紀)のままなのだそう。最上階なので壁に穴が空いており、敵が来たらそこから沸騰させた油を流したそうで、その光景を想像するとちょっと背筋がゾクッとする。
窓からの景色を見ると、今、自分がここにいることが夢のようだ。「夢のよう」というのは、「ここにずっと来たかったの!わ〜、夢が叶った!(キラキラ)」という感じではなく、今ここにいることがなんか、とても不思議な感覚がするのだ。すごく願ったわけでもなく、流れの中で出会いがあり、その出会いから今ここにいる。がむしゃらに動いたわけでもなく、ごくごく自然な感じなのだ。私はお金自体は本当にちょっとしか持っていないのだが、飛行機に乗って、こうやってイタリアに来られていること。これって奇跡だなぁ、ってつくづく思う。「今までの行いが良かったからよ!」と言ってくれる人もいるけど、正直、今の私にはそんな思いもない。点と点が結ばれて、今の私がここにいる、そんな感覚。だから、他の人に対して「羨ましいなぁ〜」と思うことが全くなくなった。点と点が結ばれた結果、今のその人がある。ただそれだけなんだな、と。
点と点の結ばれ方って、まさに無限。一点からどちらに矢印を出すかで違ってくる。その矢印の方向は私たちに託されているのだろう。それがいわゆる自由意志、選択の自由なんだだろうな。そう思うと自分の生き様に壮大さを感ぜずにはいられない。
今日も地図を持たずに街歩き。出会いが楽しみ。

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