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アジフライと結婚

 一人暮らしを始めて2年弱、ようやく近所のスーパーの値引きシールタイムが判明した。20:30やった。これを知れたのはドデカい。ドデカミンよりドデカい。シールを貼る店員に群がるスーツ姿の中年達を横目にして野菜をカゴに入れ、店員がいなくなったところで半額になった惣菜を「あんま興味ないですけどね」みたいな顔で見に行く。パッと目についたのはアジフライと白身魚のフライやった。消費期限は今日。今晩はシチューって決まってたし、絶対に一緒には食べへんってわかりきってるけど、両方カゴに入れた。ついでに近くにあった鮭の切り身も。他にもパンとかお菓子とか色々買ったら3000円弱した。スーパーで1000円以上のお金を払うことに抵抗がある。でも渋々払った。
 結局帰ってもフライは食べず、普通にお米を炊いて、普通にシチューを作って、それらを食べた。シチュー1作分とお米3合は私の4食となり、ちょうど同時になくなる。もちろん今回もそのつもりやった。ご飯をタッパーに移す時、ふと鮭の切り身を思い出す。そして名案が浮かぶ。「やっぱり残りの2合ちょいは鮭ご飯にしちゃおう」。これはかなり思い切った決断と言える。なぜならここで鮭ご飯にしてしまった場合、シチューを食べる時にまたお米を炊く必要があり、しかも既に食べた1食分の1合弱を残してシチューが尽きてしまうから。でもこれは意外と簡単に解決した。私は常日頃「そうなった時に考えりゃいい」みたいな考えで生きてる。やから全部無視した。未来の自分なんて知ったこっちゃないから。食え。適当に。そうして私はお米と鮭をせっせこ混ぜ、無事に鮭ご飯が誕生した。おいしそう。ちょっと食べる。おいしい。明日の昼ご飯用におにぎりをひとつだけ作って、あとはタッパーに入れて冷凍した。
 翌日、バイト前に食べようと思ってチンしたおにぎりは、キッチンに置かれたまま夜を迎えた。駅に着く前に思い出したけど、取りに帰って遅刻したら嫌やからそのまま行った。結局バイト1とバイト2の間に一旦帰って、バイト2に向かう途中で食べた。おいしかった。バイト2が終わってからフライ達を食べる。アジフライと白身魚のフライはそれぞれ2つずつ入っていて、朝1つずつ食べたから、夜も1つずつ食べた。タッパーに入った鮭ご飯も食べた。うれしい。おいしいよりも。食べ終わった時、落ちた衣とアジフライのしっぽだけが透明なトレーに残った。アジフライのしっぽが悲しそうに見えた。「自分は可食部ではないのですね」みたいな顔してこっちを見てくる。私に問う。なぜエビフライのしっぽは食べるのにアジフライのしっぽは残すのか。そんなのあんまりじゃないか。私は答える。はい、仰る通りです。そしてアジフライのしっぽを口に運んだ。口の中でバリバリと音がした。アジフライのしっぽは、エビフライのしっぽと同じ味がした。
 私はアジフライを愛したのだ。愛するが故にしっぽまで食べた。生半可な気持ちではない。きちんと覚悟を持って食べた。あのまま気付かないフリをして捨てることも出来たのに、一旦お箸を置いたのに、食べた。これが良いことなんかはわからへん。悪いことではないと思うけど、いや、体にとっては悪い可能性もあるけど、でも確かに「食べたい」と思って食べた。それはアジフライのしっぽが美味しそうだったからではなく、そこにいたアジフライのことが好きやったから。アジフライを悲しませたくなかったから。「アジフライに感情なんかない」と思う人もいることやろう。でも考えてみてほしい。自分がフライになったとして、最後につま先を30°開いた両足だけを残して捨てられたら、どう思うか。私は「悲しい」と思う。「足も食べてよ」と思う。私は人にされて嫌なことはしないようにしてるから、アジフライにも同じようにした。ただそれだけのこと。逆に言うと遅刻はされてもいいと思ってるから、してる。ただそれだけのこと。変やと笑うような奴は勝手に笑えばいい。私はそんなやつのことを眼中に入れずに胸を張っていられる。バイト帰りに電車の中で2DSを開いてトモコレをすることも全く恥ずかしくない。そんなふうに生きてる。そんなふうに生きる。なんかそんなふうにいきてるやつ。そないき。NIKE。

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