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浴槽なる場所

 湯船に浸かるのが苦手だ。理由はただひとつ、潔癖だから。
母親と一緒にお風呂に入らなくなってから、「人と同じ湯に浸かることって結構気持ち悪いのではないか?」と気がついてしまい、以来10年近く湯船に浸かっていなかった。別に湯船に浸からなくなって困ることもなかったし、いつからか実家で湯船にお湯を張ることもなくなっていたので、私の中で湯船という存在は、長らく風呂場のデッドスペースと化していた。

 過去形で書いている時点でお気づきかとは思うが、結論から言うと、今日、10年ぶりくらいに湯船に浸かったのだ。
私はシャワーだけのくせして長風呂なので、時にはシャワーの長時間出しっぱなしが原因でガスの安全機能が作動して自動的に止まってしまったり、更にこの冬の値上げも相まって、1月のガス代がバカの値段になっていた。実家や他所なら絶対に浸からないのだが、シャワーだけで1時間以上入っているのも流石に勿体ないなと思い、一人暮らしなので前入居者以外は使っておらず私の潔癖センサーもセーフティー判定だったので、湯船にお湯を張ってみた次第だ。

 足だけ海に入ることはあれど、体ごと水中に入ることは本当に久しぶりなので、水中には結構な浮力があることに初めてまともに気がついた。シャワーヘッドと一緒に空の湯船に入ってお湯が溜まるのを待っている間、徐々に違和感に苛まれ、30cmほど溜まって体の7割が浸かった時に「水中ってこんなに気持ち悪かったんか」と思った。きっとアリエルも初めて水中から出た時は体の重さにびっくりしただろうな。小さい頃はプールで浮き輪に乗って浮くことに対して何の疑問も抱かなかったので、あまりの気持ち悪さに戸惑って「湯船 気持ち悪い 感覚」とかで調べたりもしたが、その中で水中はそういうものだということを知った。学校は中1から行ってないが、学校のプールは小5から入っていないので、完全にこの感覚を忘れていた。
というか、プールに入らなくなったのも殆ど同じ理由じゃないか。私が湯船に浸からなくなる少し前、父親と妹と3人でプールに行った時に、日焼け止めやら髪の毛やらで汚れた水面のあまりの汚さにドン引きしたことを思い出した。私が嫌になったのはそこからかもしれない。別に誰も悪くないし、行かなきゃ良かったとも気付かなきゃ良かったとも思わないが、私が潔癖となる要因には確実になっている。きっと私が今後プールに行くことは、これからの人生のうちに一度や二度あるかどうかくらいだと思う。なんならこれに気がつく前から温泉みたいに知らない人と同じ空間で風呂に入ることは苦手だったし(裸ってなんか人間の素の姿過ぎて怖いから見たくないし、自分のも他人に見せたくなかった)、"プールでの気付き"と"他人と同じ湯に浸かりたくないこと"は完全なるイコールではない。

 本当に毎度毎度話が脱線しまくるが、裸ってグロテスクだと思う。下着1枚でも服を着ていれば何も思わないのに、全裸になった途端急に動物っぽさが出て苦手、というか嫌いまである。
逆に2歳前後は裸が一番可愛い気もする。「天使」と聞いてパッと思いつく天使がそれくらいの全裸だし、体型が大人とは似ても似つかないので別の生き物のように思う(=グロテスクでない)から、犬や猫と同じ感じで「かわいい」の対象に含まれる。私の中では。

 これを書いてる間にどんどん水温が下がって寒くなったので湯船を出た。
とにかく、久々の水中は不思議な感覚だった。どちらかといえばその浮力が不快寄りに感じたことが、ややショックだった。なんとなくもっと「自分は水中が好きだろう」と思っていたのに、体が水中を拒絶しているようで悲しかった。水が肉体を拒絶しているのか? どっちだ? わからんけど。結局1時間くらい浸かってはいたので、節水という点ではアリなのかもしれないし、なんだかんだで別にもう入りたくないと思うほど不快でもなかったので、またたまに浸かろうと思う。


 ここまで書いて載せずに寝た。どうして?
これを書いた翌日、つまりは今日もまた湯船に浸かった。昨日はお湯を6割程度しか溜めなかったが、今日は8割ほど溜めてしっかりと浸かった。昨日よりは浮力にも慣れたが、まだお腹の辺りが気持ち悪く感じる。
髪や体を洗う前だったので、汚いついでに潜ってみた。仰向けの状態で鼻をつまんで沈む。聞いていた曲が遠くなって、体もふわふわとして、心地よかった。人間が水中で呼吸をできないのは、居心地が良すぎてしまうからなのかもしれない。浮力の不快感も、全身で潜ってしまえばなんてことない。それと、水中では、メガネをかけているよりも裸眼の方が見えやすいことに気付いた。メガネをしていると普段の裸眼のような見え方をして、裸眼の方が照明の輪郭が僅かにくっきりと映った。とても些細だが、今まで知らなかったことに自分で気がついてちょっと嬉しかった。水中から聞く音楽があまりにも気に入ったので、耳だけが水中に入るように、水面に顔を出すような状態でしばらくぼーっと過ごした。呼吸さえ出来れば一生いられるのになと思いながら、また水温が下がって寒くなったので湯船からあがった。
節水にはなっていても、今まで以上にお風呂の時間が延びているので、この作戦はあまり良くはないかもしれない。というか、私の長風呂の原因の7割は"スマホを持ち込んでいるから"なので、そもそもスマホを持ち込まないのが一番節水になりそうではある。あとの3割は"寒いから"と、"ただただぼーっとしているから"が半々くらいだ。まあそもそも「水勿体ないなー」程度にしか思ってなかったし、どうしても節水したかったというわけではないけれど。今後は風呂でダラダラとスマホを触らないようにしたいと思いつつ、変わらずダラダラとTwitterを見てしまうのだろうな。おわり。

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