ヴィヴィアン1

自分の人生の仕立て方-Queen of Punk Vivienne Westwood-

77歳になった今も、「ファッション」で発信を続ける女性  
ヴィヴィアン・ウエストウッド。


出典:IMDb 

2018年12月28日から公開した映画
「ヴィヴィアン・ウエストウッド 最強のエレガンス」は
“パンクの生みの親”として1970年代の音楽にも影響を与え、若者ファッションのカリスマとして活躍するデザイナーの、半生を描いたドキュメンタリー映画だ。

予告編を観た人は、彼女をどのように思っただろう?
「かっこいい」?
「ズバズバいう人」?
「めっちゃオシャレ♡」?

きっと感想は人それぞれかもしれない。
誰かを見るときはいつも主観なのだ。

映画の中で語られていることは、彼女の人生のほんの一部にすぎないけれど
どこまでも一人の女性として飾らず生きてきた彼女の言葉たちは、
あなたの人生に寄り添ってくれるかもしれない。

だから、彼女の言葉に会いにいってほしい。
シンプルに言うと「めっちゃ良かったからこの映画ぜひ見て〜!」だ。

「オーブ」を見ると浮かんでくる、あの頃の思い出

この映画を観るにあたり、懐かしい思い出が蘇ってきた。

1996年。オシャレに目覚めた高校生のころ。
愛読していたのは装苑やZipperだ。
中でも、東京、名古屋、大阪、福岡の都市をメインに街にいるオシャレな人たちを撮影したスナップ写真が大好きだった。

あの頃はインスタなんかない。雑誌に載るトレンドや着こなしを参考にしては真似をしていた。時には、自分で布を裂き、ファスナーをつけて服をアレンジした。

このスナップ写真の中で際立っていたのが、ヴィヴィアンの「オーブ」がついた服を着ていた子たちだ。

このブランドの人気は凄まじく、まだ10代そこらの女の子たちが
数万円もする服を全身に纏っている。
その時生まれた“ヴィヴィ子”という言葉は
「ヴィヴィアンをこよなく愛する人たち」の称号ともなっていた。

チェック柄のボンテージパンツを合わせたパンクファッションの子。
「Milky Way(ミルキーウェイ)」のTシャツにスカートを合せて
甘く着こなす子。
厚底のロッキンホースなんかは万能だ。
カジュアルなスタイルにもマニッシュなスタイルにも何でも合う。
違うブランドの服を着ていたとしてもこの靴を合わせるだけで、ヴィヴィアンスタイルになってしまう。

このように、可愛く着こなす彼女たちを眺めるたびにうっとりしたものだ。

厄落としで「長いもの」をおくる習慣があると思うのだけど、私の場合はヴィヴィアンのオーブネックレスを親にお願いした。
当時、4万円以上もするアクセサリーはまだ手が出ない。
ちゃっかり、このタイミングでおねだりしたのだ。

買ってもらったのはたしか、地元広島のブランド古着を取り扱うお店だったと思う。店内に入ると、ガラスケースの中にはブドワール(香水)やオーブ型のピアスもある。その中で私はネックレスを選んだ。

今はつけることがなくなったが、袋からネックレスを取り出すたびに、この頃の熱い想いがこみ上げてくる。

−ショーの裏側で彼女がかける魔法−

映画の中で、何度かコレクションの舞台裏や準備風景が出てくる。
今回登場していたコレクションは冒頭から順に、2016-17AW、モデルさんに着せてトワルチェックをしていたシーンはゴールドレーベル2015SS、最後のインタビューは2017-18AWだ。(覚えている限りでは...)
※Spring Collection(SS)
※Autumn Collection(AW)

ファッションショーは年に2回(ブランドによっては3〜4回)、
ニューヨークコレクションを皮切りに、ロンドン、ミラノ、パリ、東京と開催される。リゾートコレクション(またはクルーズコレクション)、プレFallを行えばプラス2回になるが、いつでも華やかなショーの裏側は闘いだ。
ショーならではの臨場感、そして「ゴタゴタ感」は見ていてとてもワクワクする。

「ヘアスタイルはこれでいい?」
「あなたはこっち!」
指示や怒号が飛び交い、何万もする靴を放り投げ、スペースを空ける。
ランウェイを華麗に歩いたモデルは舞台裏に入った途端にダッシュ。
2着目を着るモデルはすぐさま着替え、何事もなかったようにまたランウェイをさっそうと歩く。モデルさんが準備をしているすぐ横で、メディアが生中継していたりする。

↑ヴィヴィアンがショー準備の時に履いていた靴

その中で全体を把握し、指示をひっきりなしに飛ばす。
全てをチェックするのがデザイナーだ。

ファッションデザイナーは、お洋服の絵を描いて終わり、ではなく、
お客さんに届くまで多くのことを考え抜いてつくっている。

イメージのように(またはそれ以上に)できているか。
着る人の体を美しく見せるラインになっているか。
素材はこれでいいのか。
縫製の仕上がりはどうか。
店頭着は間に合ってるか。
「これを出して、受け取った人は喜んでくれる?」か。

デザインを生み出してから受け取るまで、ファッションデザイナーは全てに責任を持っていく。
少しでも「妥協」なんかをすれば、すべて洋服に反映されてしまう。

だからこそ、ヴィヴィアンは自分の中で「イマイチだ」と思うものは絶対にださない。そして、イマイチだと思うものができてしまえば「私の責任ね」と言い、誰かのせいにはしないのだ。

映画に出てくるショーの裏側で印象的だったのは、出番を控えるモデルさんにヴィヴィアンが声をかけたシーンだ。世界で活躍するモデルさんはまだ中学生くらいの子が歩いていたりする。
ケイト・モスもトリで歩くこともあるが、そのほとんどが10代だ。

自分たちの出番を控え、少し緊張するモデルたち。
そこでヴィヴィアンは声をかける。

「みんな私に夢中なんだと思うのよ。
服が大人っぽく後押ししてくれるからね。」

こうしてヴィヴィアンは、着る人も洋服も素敵に見える魔法をかける。

−Anarchy in the UK−

出典:Vivienne Westwood レット・イット・ロック前
https://www.viviennewestwood-tokyo.com/f/iblog-5-73

ブランドの起源は1971年。公私ともにパートナーとなったマルコム・マクラーレンとともにキングス・ロード430番地でブティック「レット・イット・ロック」をオープンしたことがはじまりだ。
最初はマルコムが集めた古いレコードを売っていたが、この店のオーナーが「しばらく出かけるから」と言ったきり戻ってこなくなる。
そこでマルコムは“服を売ろう”と思い立った。

当時、マルコムが考える洋服は「先進的」だった。作製依頼をするも受けてくれる工場がなかったことから、ヴィヴィアンがお店のために服をつくることになった。
イチからつくるものもあれば、持っていた服をカスタマイズし、当時流行していたテディー・ボーイルックを真似た服を売り出した。

お店の名前は、服のテーマに合わせて変えていった。
1971年 Let it Rock:テディー・ボーイルック
1972年 Too Fast to Live,Too Young to Die:バイカースタイルやジップ、レザー使いの洋服
1974年 SEX:オフィス向けのラバーウェア
1977年 Seditionarise:パンクファッション

そして、ヴィヴィアンとパンクファッションを語る上で外せないのが伝説のバンド『Sex Pistols』だ。当時「SEX」のお店に出入りをしていたスティーヴ・ジョーンズとポール・クック、店員として働いていたグレン・マトロック、オーディションで選んだジョニー・ロットンを加え結成し、マルコムがマネージメント。ヴィヴィアンがつくった服を着せていく。

左から、グレー色のメンズシャツを脱色し、パッチワークをほどこしたデザインの「アナーキシャツ」。エリザベス女王をモチーフにした「ブラインドクイーンTシャツ」。伝統的なタータンチェックを使った「ボンテージパンツ」。長くした袖をねじりながら留める、まるで拘束着のような「モスリンシャツ」※モスリン:ガーゼ素材

ヴィヴィアンはパンクファッションを生み出したことについてこう語る。

“パンク発祥の地はニューヨークだという説も一理あるでしょうね。
でも、パンクのスタイルが誕生したのは、キングス・ロード430番地のわたしたちの店よ。

自分のことをファッションデザイナーと思っていなくて、服をデザインしてそれを着たり、人に着てもらったりすることで、腐りきった現状に対峙したいと思っただけなの。次々と発想が膨らみ、その究極にパンクがあった。”
引用:ヴィヴィアンウエストウッド自伝「ゴット・セイヴ・ザ・クイーン」

しかし、1979年。のちに加入したシド・ヴィシャスの死を機にバンドは解散。「Seditionarise」も6ヶ月もの間、閉めることになる。

ヴィヴィアン自身、セックスピストルズの解散について多くを語ろうとしないが、パンクムーブメントがトレンドの主流となったことから、ヴィヴィアンは次第に興味を失っていった。

−THE EARY YEARS−

そして、1980年。二人はパンクの次となるものを探していた。
もともとパンクファッションをつくったのは、エスタブリッシュメント(社会的に確率した体制や制度)に対抗するためだった。それが、ルックスだけを追うものとなり本来の目的から離れていったことを憂いた。

その中で生まれたのが『パイレーツコレクション』だ。
当時、海賊が本当のパンクロッカーだと思っていたヴィヴィアンたちは、「パイレーツのエネルギーがイギリスの島からどこか遠くへ連れ出してくれる」との理由からこのコレクションが生まれた。
ファッションのテーマごとに変えていた店の名前も「Worlds End」になり、ブランドとして躍進をしていく。

ブランドとして初めて、このコレクションからキャットウォークショーを行った。

アシンメトリックなデザインや、たっぷりとボリュームを入れたブラウスに複雑なカッティング。ロマンティックな要素を加え、洋服としての機能も果たしながら、着る人をカラフルに飾っていく。

映画の中にも出てきた「ミニ・クリ二」コレクションは、1985年SSに発表された。バレエの「ペトルーシュカ」からインスピレーションを得たこのコレクションは、肩はコンパクトにつくり、体にフィットさせたデザインに。
スカートはクリノリン風のふっくらした形でアイコン的な存在だ。
ブランドの代表的なアイテム「ロッキンホース」もこのとき誕生した。

数々の革新的なファッションを生み出す彼女が、映画の中で服のデザインについて語るシーンがある。


「服のデザインには物語と個性が必要なの。
人々はその物語に触れると
あの時代にノスタルジアを感じるからよ」

「私の作る服には多くの意味が込められ、いつも自己表現と深く結びついてるの。どう歩き、どう話し、どう人を引き付けるか。
だから私の服はどの時代にも合うのよ。」

この言葉をもっと知りたくなり、彼女の自伝を読んでみると文学的な一面が垣間みえたので紹介したい。


“私は昔から物語を想像するのが得意だった。たとえば、海賊のズボンを見れば、そこからの物語を感じることができるの。でもそればかりじゃなくて、たとえば着古したデニムを見ると、経験という言葉が浮かんだりする。着古した洋服を着ているということは、その人がそれだけいろんな経験をしてきたのだろうと想像するの。それだって服が教えてくれる物語でしょ。”
引用:ヴィヴィアンウエストウッド自伝「パイレーツ・プリンス」

しかしその後、セックスピストルズの成功など過去の栄光にしがみついていたマルコムに対し先に進み続けていたヴィヴィアン。
彼と離れる決意をする。

−無一文からのスタート−

出典:Vivienne Westwood 公式サイトWorlds End店舗正面
https://www.viviennewestwood-tokyo.com/f/iblog-5-73

パイレーツコレクションから毎年新しいデザインを積み上げてきたヴィヴィアン。ついに、1983年にイギリス人デザイナーとして2人目となるパリコレへの参加を果たした。

しかし、華やかな表舞台に立ち順風満帆かと思われたその事業は、フタをあけると窮地に陥っていた。
ブランドの存続を危惧し、その経営をサポートするために乗り出したのが、イタリアの商人でCEOのカルロ・ダマリオだ。イタリアのメゾンに掛け合い多額の資金を調達したものの、以前のパートナーであるマルコム・マクラーレンが邪魔をした。せっかく調達した資金をすべて持ち去ってしまったのだ。

お店は電気代も払えない。営業時の灯りはろうそくで乗り切った。
ヴィヴィアン自身、生活保護を受けながら休みなく自宅でミシンを踏んだ。
寝る間も惜しみ、服を仕立てていく。

しかし、彼女の「ファッションで世界を変えていきたい」気持ちは、どんな苦境の中にいても負けなかった。
1991年に、世界のファッションシーンに影響を与えたデザイナーに贈られる「British Designer of the Year」、1992年にはエリザベス女王から贈られる勲章「Officer of the British」を受賞するまでに躍進した。

−自分の人生の仕立て方−

出典:IMDb 2016–17AW

ファッションの世界で数々の実績をあげてきたヴィヴィアン。
一見派手で、社会に抗うようなデザインにもすべて意味が込められている。
想いや物語はブランドを立ち上げた当初から変わらない。

「人が傷つけ合うのを止めたい。その信念がファッションなの。」

77歳になった彼女は、今も進化をし続ける。
地球環境の危機を知り、自らが広告塔となって環境保全にも力をいれているというのも、はずかしながら映画で知った。
「世界を知りたかった」女性が自らの手で世界を知り、自分の立場でできることから世界を変えようとしている。
人生のほとんどを占めている服づくりも、その手段にすぎないのだと思う。

「あなたはどう生きる?」

この映画で、そうヴィヴィアンに問いかけられたようだった。
熱い気持ちが心の奥から湧いてきたのも、彼女の生きてきた道に触れたからだと思う。

私も、アパレル業界の中でわずかばかりだがお世話になった。
今は違う仕事をしているけれど、今でも服は大好きで、かわいいものに出逢うと嫌なことも一気に吹き飛ぶ。

トレンドはあるけれど、「もともとファッションは自由だ」ということをこの映画が思い出させてくれた。
街を歩くと、いろんなファッションに身を包んだ人を見かける。
こうしてみるともっといいのにな、と感じることはあるけれど、
「ダサい」という言葉でその人の自由を奪ってはいけないな、と思うのだ。

もし、大好きで着ている服を、誰かが「ダサい」なんて言ったとしても、気にする必要なんかないと思っている。奇異の目でみられたとしても、好きな服を身に纏うことは時に、自分を守る砦にもなってくれるし、自分だけの人生を仕立てるために助けてくれる。

最後に...

“考えることで人生が変わります。
そして、自分の人生を変えることは、世界を変えることにつながるのです。”
引用:ヴィヴィアンウエストウッド自伝より

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