2011年に書いた論文

人権の諸源泉―人間と国民国家

●●大学大学院人文社会科学研究科
博士課程3年
松本秀昭

「人権が尊重されているかどうか」ということは世界中の近代国民国家の全ての住民の関心ごとである。そう言ったとしても、今日それは決して大げさな表現ではない。私たちは近くの人であれ遠くの人であれ、同じ人間が理不尽な暴力や不当な扱いに苦しむことを嫌う。人間が当然受けるべきとわたしたちの信じている権利の恩恵を受ける資格があると私たちが信じている同じ人間が、その権利の享受に対して妨げられていることを知った時、それを不当だと思い、疑念を抱き、そして状況の改善を願う。民衆が声をあげるとき、彼らが要求しているものに人権の理念が適用できることを私たちは理解している。世界中の全ての人々が人権の名の下に不当な苦しみや境遇から解放されることを誰もが願う。妨げられている自由が、道理に合わない自由の主張でない限り、世界中の全ての人々の自由が解放され法として創設されることを私たちは夢見ている。しかし一方で、あからさまに無視される人権のあまりの無力さや世界のどこかで行われている不正義に対して自分たちが無力であることに絶望することもまた多い。
だが、たとえ人権が無視されている現状があろうとも、人権という理念を否定してしまうことは道理に合わないだろう。私たちは人権という理念にそれでも希望を抱くことができる。では、そのような人権とは私たちにとってなんであるのか。人権が在るとか無いとかいうことは何を意味しているのか。人権をめぐるいくつかのトピックを辿ることで、人権という理念をどう取り扱ったらよいのかに関する一つの考え方を示したいと思う。

人権の問題点:個人と国家の関係

「人が人であるというそれだけの理由で、人権はすべての人に与えられている」そのように自由で民主的な立憲政体の制度の中で生きる私たちは通常考えるが、そうした人権概念が空虚であるということを鋭く指摘したのはハンナ・アレントである。彼女は『全体主義の起源』の「国民国家の没落と人権の終焉」という章で次のように述べる。

同じ一つの不可欠の諸権利がすべての人間の譲渡不可能な相続物として主張されると同時に、特定の諸国民の特定の諸権利として主張され、同じ一つの国民が人権 に由来する普遍的法に従うと宣言されると同時に、どんな普遍的法にも拘束されず、自身より上位にあるものを何一つ認めない主権に従うと宣言された。この矛盾が実際にもたらしたものは、すなわち、これ以降人権は国民の諸権利として、そして国家の制度によってのみ保護され実行されたということである。
Arendt 1976 p.230

人権は人間それ自体の権利というより、近代の国家制度と民族自決のナショナリズムのイデオロギーに支えられているというのがアレントの指摘である。
ヴァージニア権利章典とアメリカ独立宣言(1776)と人と市民の権利宣言(1789)にはじまる人間の権利の宣言という「人間」の「解放」は、実質的に特定の国家の「人民」つまり「国民」の「解放」であったのである。さらにこの「人間」の「解放」としての「国民」の「解放」が国家の文明と進歩の証とされたので、「人間」の解放それ自体が「国民解放」の問題と切り離しがたく混合された。「人民の解放された主権のみが、人権を保証することができるように思われたのである。フランス革命以降、人類mankindは諸国民から成る一つの家族a family of nationsのイメージとして思い描かれたので、個人ではなく人民が人間のイメージであるということが次第に自ずと明らかになった」(ibid. p.291)。「国民解放」は国内の統一を意味する。そして国内の統一は、ナショナリティという国民帰属意識に媒介された構成員の国家内部への包摂を伴う。包摂の基準となる帰属意識の境界線の創出は、同時に非構成員を排除する境界線の基準でもある。したがって、国民国家の非構成員である、「無国籍者the stateless」は「無権利者the rightless」として、人の権利を喪失し、人類の埒外へと放逐されるのであった。生まれながらの譲渡不可能な権利としての人権はこのようにして終焉することになった。
ところで、我が国では人権はどのように保障されているのか。日本国憲法第十一条では「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる」とされている。基本的人権は憲法によって国民にのみ保障されていることになる。では国民はどのように決定されるのか。第十条では「日本国民たる要件は、法律でこれを定める」とされている。しかし、人権が国民にのみ保証されるというのは、私たちの多くが抱いている人権の理念に関する道徳的直観に反しているのではないか。基本的人権の「基本的fundamental」とは「生れながらにして持ち譲渡不可能である」という意味である。第十一条で「憲法が国民に保障する」と約束しているのは人間の権利としての人権であって、国民の権利ではないはずである。   
自由も平等も尊厳も生得のものなのだから譲渡不可能である。しかし譲渡不可能であると宣言されたはずの自由や平等の諸価値が、国民として国家の制度の恩恵にあずかることのできない人間に対してはたやすく否定される。「人間は、人としての本質的な性質を、つまり人の人間としての尊厳を失うことなく、いわゆる「人の権利」と呼ばれるものを失うことがありうるということがわかった。政治組織それ自体を失う場合にのみ人はヒューマニティから追放される」(Arendt 1976 p.297)。人は、普遍的な道徳的価値としての尊厳の否定なくして、ヒューマニティ、つまり人間が生きるために必要な条件を失うことがあるのである。十八世紀の革命でなされた権利宣言の意義は人間の権利の宣言ではなく、人間を人民=国民=市民として規定したことにある。権利において自由で平等な存在は、実質的に人民=国民=市民であり人間そのものではない。ただしすべての人間が人民=国民=市民となれれば問題はなかった。間違いは人民=国民=市民を集合体として繋ぎとめるアイデンティティを前政治的な文化の同質性に求めたことであった。
アレントによると、国家の法制度は従来領土内すべての住民を民族的帰属に関わりなく保護するよう機能していた。庇護を求め移住してきた難民や政治的亡命者を保護する機能を果たしていたのである。しかし、近代国民国家の誕生以降、同質的文化によって結ばれた特定の民族が特定の近代的国民としての自覚を持つようになったことにより、従来の領域内のすべての住民を保護するという国家の法制度が本来持っていた機能が忘却されてしまった。これをアレントは「近代国家の没落」と呼んでいる(ibid p.230)。

世界人権宣言という始まり

近代的な意味での人権の始まりは通常、ヴァージニア権利章典とアメリカ独立宣言(1776)と人と市民の権利宣言(1789)とされる。しかしこれらによって宣言された人権に問題があることはアレントが指摘していた。この宣言は人権を宣言すると同時に国家の主権の人民への委譲を宣言するものとして受け取られた。つまり近代国民国家に正当性を与える主権の源泉として人権が用いられたのである。人民主権という理念である。しかしこの人民主権という理念は、一つの国民からなる一つの国家というナショナリズムと容易に結びつき、人権の相互承認は排他的な国民同士のものに限られた。人権という理念に分け隔てのない人類全てへの適用を期待するなら、上記の宣言は人権の始まりというよりは人民主権の始まりと位置付けておいた方がよさそうである。
普遍的に人類に適用できる人権の始まりは、世界人権宣言(1948)であると考えるのが適当であろう。マイケル・イグナティエフは世界人権宣言の意義について次のように述べている。「第二次世界大戦以前には、国家だけが国際法上の権利を保有していた。一九四八年の世界人権宣言にともない,個人の権利は国際法上の承認を受けることになった。はじめて個人は、―人種、信条、性別、年齢、あるいはそのほかいっさいの地位にかかわらず― 正義に反する国家法や抑圧的な慣習に異議を唱えるために行使することのできる権利を与えられたのである」(イグナティエフ p.38)。
私が世界人権宣言を人権の始まりと考えることの意義はもちろん国民ではなく個人をその名宛人としているからであるが、それ以外にも重要な三つの理由がある。まず世界人権宣言は戦後の国際関係の規範的秩序を再編成する動きの一環であり(ibid 38)、戦前の人道に対する罪への反省に基づいているという理由である。「人類が互いに容赦なく殺し合いを続けたという点では、二十世紀に匹敵する世紀はない」とイザイア・バーリンは前世紀を特徴づけている(Berlin 2003 p.175)。二十世紀、人が人であることを承認できるような最低限の道徳的本性というものがあからさまに無視されたがゆえに、人々は戦後最低限の人類共通の道徳本性を意識せざるを得なくなったのだと彼は言っている。戦後の世界共通の道徳的基礎の再確認を彼は「古来の自然法への一種の回帰」と呼ぶが、それは経験的な衣装をまとったものであり形而上学的な基礎の基づくものではないと言っている(ibid p.204)。バーリンは人権に基礎を与えているものは、過去の人類が人類に対して犯した罪を繰り返さないという反省なのであると考える。こういう意味で経験的なのである。ただし過去において蹂躙された人権の経験は私たちに人権に対する絶望を与えるのではなく、逆にその必要性と重要性を人類の胸に深く刻み込んだのである。
第二に世界人権宣言は決して西洋中心主義的な価値観を唱ってはいないという点である。世界人権宣言の起草には、中国人、中東のキリスト教徒、マルクス主義者、ヒンズー教徒、ラテンアメリカ人、イスラム教徒と多様な文化の代表者からなり、彼らは多様な宗教的、政治的、民族的、哲学的背景の内で、一定の普遍的な道徳的価値を定義しようという目的を明確に意識していたのである(イグナティエフ p.115)。
第三に世界人権宣言以降人権は、個人と国家との関係において戦前の「近代国家の没落」という失敗とは好対照な働きを示している。人権の実現や人々の権利の拡張は国家の先導によって成功してきたわけではない。イグナティエフが指摘しているように世界人権宣言の起草に貢献した国々の多くは「世界人権宣言などというものはこれからも偽善的な決まり文句の寄せ集めであることに変わりはなく、実際には遵守するよりも違反することのほうが多いだろうと考えてきた」(ibid p.39)。けれども、権利の言葉は植民地革命や公民権改革を引き起こし、国家の没落ではなく国家の在り方を変容させてきた。世界人権宣言は個人に与えられた人権が国家主権に抵抗できることを宣言するものだが、それが現実になった。人権はただの理念ではなく、実際的な人類の歴史であった。一九四八年の世界人権宣言以降、植民地の人々は自由を求めて闘い、マイノリティの有色人種や女性は完全な公民権を求めて闘い、先住民は自治を求めて闘ってきた。今では同性愛者の権利、固有言語の権利、環境の権利など様々な権利が承認されつつある。こうした転換をイグナティエフは「権利革命」と呼んでいる。バーナード・ウィリアムズの言うように、人権に関する最も重要な問題は「人権が何であるのかを同定することではなく、それらを実行させることget them enforced」なのである(Williams p.62)。

道徳か法か

人権の問題を「人権が何であるのかを同定することではなく、それらを実行させること」と考えることは、「自由や尊厳や権利は人間が生まれながらに持つ」という人権の伝統的な考えを否定することになる。世界人権宣言第一条でも「すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない」とされている。ここでは自由・尊厳・権利が「生まれ」によって与えられることが当然視されている。確かに、この当然視は私たちの道徳的価値観を反映している。私たちの感じる人権を実行させる必要性や人々の権利を求める運動は「私たちの道徳的価値観を実現しろ」という要求である。しかしこうした生得の人権の名の下に行われる権利主張は国家や国家の機関に対してなされるものである。アレントは「政治組織それ自体を失う場合にのみ人はヒューマニティから追放される」と述べていたが、生得の人権に基づいた権利要求は何らかの政治組織無しには無意味なのである。
いずれにしろ、生まれと人権を結びつけることは奇妙なことに思える。たとえば近代国民国家とは全く異なる共同体のシステムを持つある地域に生まれた一人の人間と、私が同じ生まれながらの人権を持つ、ということを考えてみよう。私が旅をして辺境の地で彼と会ったとしよう。当然私は同じ人間として彼のことを尊重することはできるし、また、彼もそうしてくれることを私は期待する。私は彼が同じ傷つきやすい肉体を持つ人間として、彼には不可侵な何かがあるということを、つまり彼に対して尊厳の念を抱く。しかしこうした道徳的感情は人権に謳われる尊厳と同じものなのだろうか。このような道徳的感情としての尊厳は権利の言葉なしで語ることができるのではないのか。こうした自然な感情を抱く根拠としてこそ「類として生まれが同じなのだから」という言明にうなずけもする。むしろ人と人との関係に自然と生じてくる道徳感情に権利なんて言う概念を持ち込んでほしくなんかないとさえ私は思う。
「法制化して客観的に定めておかなくては、人と人との関係はいつまでも不安定なままだからだ」と反論されるかもしれない。なるほど、だとするなら人権は道徳的価値観を法制化したものというよりは、われわれの不安感を除去するために法制化されたものだというのがより相応しいように思える。
こう考えると人権に関して一つのことが明らかになったように思える。人権はその権利要求や人が被った不正に対する異議を訴えることができ、なおかつ応答する責任を有するであろうと期待のできる組織や制度を前提にしているということである。確かに人権は私たちの道徳的価値観と一致している。しかし人権のように権利を主張して制度や機関に訴えることはしない。それでは人権について道徳的価値観と切り離して考えることは可能であろうか。人権をそのようにとらえている思想家の一人がユルゲン・ハーバーマスである。以下ハーバーマスの考えを援用しながら人権について考察を進めていきたいと思う。そのために人権の始まりとしては否定した一八世紀の革命に立ち返り契約論について考察することになる。先に一八世紀の人権宣言は人民主権の始まりであったと述べておいたが、その人民主権と人権との関係について考察してみよう。

人民主権と人権との結びつき

人民主権という理念は立憲主義という理念のためにある。立憲主義とは民主的自己立法によって国家を創設することである。民主的自己立法には「共同で一つの法秩序の下に生きよう」という人々の一致した決意が必要である。または、「共同で一つの法秩序の下に生きよう」という人々の一致した決意が民主的自己立法という行為に到るといってもよい。つまり立憲主義とは契約説によって民主的立憲体制としての国家の正当性を示すものである。ルソーやカントの契約説では制定された法の権威と正当性はこの決意、すなわち人々の一致した意志に由来するとされる。
 さて、ハーバーマスによるとこのような決意がなされるのは、人々が相互に認め合う諸規則を法制化する途上である。諸規則の法制化は正当なものでなくてはならないが、その正当性は適切な手続きによって与えられる。しかしどのような手続きなら適切であるとのか、ということに関しては人々の一致した決定が必要である。つまり手続きもまたなされた決定に合意する当事者である人々の一致した決定によって法制度化されるのである。ハーバーマスは「基本権は、民主的自己立法のそのような手続きの法的制度化に起因するものなのである」と述べる(ハーバーマス2004 p.163)。というのも適正な手続きが人々の一致した決定によって正当であると見なされるためには、決定する人々の私的自律、すなわち個人の自由な意思決定と選択が保証されていなくてはならない。この個人の自由な意思決定と選択こそが、手続きの決定に正当性を付与するのである。この私的自律の国家による「根源的な保証」とも呼ぶべきものが人権(基本権)である。自己立法とは政治体が従うべき法を自ら制定することだが、これを「公共的自律」と呼ぶ。すなわち集団的自己統治のことである。人民主権は集団的自己統治として公的自律であり人権は強制の排除という意味で消極的自由1を中心とする私的自律である。そして両者の繋がりに関してハーバーマスは次のように述べている、「もし市民の私的自律を保証する基本権がないなら、市民が国家市民として自らの公共的自律を使用しうる条件を法制化するいかなる手段もないことになる。このように、人権が人民主権に対して、あるいは逆に人民主権が人権に対して優先権を主張することもなく、私的自律と公的自律は互いを前提としているのである」(ibid p.294)。
この一連の論述が示していることは、人権は道徳的価値が実定法化されたものでありそれを人々が享受しているということではないということである。「人権概念は道徳上の出自を持つものではなく、個人の主体的権利という近代的概念の、したがってまた法的概念の特別な鋳造物なのである。人権の本性はもともと法学的なものである。人権に道徳的権利であるかのような概観を与えているのは、人権の内容でも、ましてその構造でもなく、国民国家的法秩序を超える人権の妥当性のあり方なのである。」(ibid p.217)。このように人権は法であるからこそ個人の権利として訴訟可能なのである(ibid p.219)。道徳的価値観と切り離すことによって、人権の取り扱い方の一側面が明らかになったと思われる。人権は権利である。権利であるのだがそれは特別な権利であり、われわれの権利を保障する民主的な立憲政体の在り方と根源的に結びついた権利なのである。
さて、アレントは人民主権が同一の民族からなる一つの国家という排他的ナショナリズムと混同されたために人権とそれを保護するする国家との関係が崩壊したことを指摘していた。また同時に何らかの政治組織が人権の条件となっていることも指摘していた。つまり人権には国家制度が不可欠なのであるが、「国家の没落」をどう防いだら良いのかが問題だったのである。この問題に対し、ハーバーマスは人民主権と人権との不可分の繋がりに着目する。ハーバーマスは私的自律と公的自律が互いを前提としているとしながら、私的自律の確立というものを純粋な個人に宛てているために、「国家の没落と人権の終焉」の可能性を避けている。人権は民族自決としての人民主権によって国内で同質の文化を共有した国民に対して保証される権利ではない。「人民主権という概念は、出自や生活形態の同質性があらかじめ保たれているという点にアイデンティティを感じるような実質的な集合的意識とは無関係である。自由で平等な市民たちからなる団体内部で討議された結果得られるコンセンサスは、最終的には、例外なく適用され成員全員から認知されている「手続き」から生まれてくる。(略)市民は、皆の利益になるという理由から全員一致で正当化された合意にかなった諸原則に従って、平和的な共存を図る。このような団体は相互認知の関係で構成されており、この関係を前提とすれば、各人は自由で平等な成員として互いに尊重しあうと見込まれるのである」(ハーバーマス 1996 p.188)。人民主権がその正当性を得るために独立した個人の私的自律を必要とする。こう考えるなら、リベラルな立憲政体の属性である個人主義という政治文化は人権という法的概念に結び付けて考えるのが妥当であろう。私たちの在り方を決定している公的自律と結びつく限り、個人主義は単なる私化とは区別されるべきである。

自由と平等

 アレントは『革命について』の中で自由と平等に関して興味深いことを述べている。アメリカの革命やフランスの革命を理解するのに極めて重要なことは「自由の観念と新たなはじまりとが一致している」ことだという(Arendt 2006 p.19)。彼女は自由をリベレイション(解放)ないしリバティ(自由)とフリーダム(自由の権利)とに分ける。「リベレイションはフリーダムの条件であっても、決して自動的にフリーダムに到ることはない。リベレイションの内に含意されているリバティの概念は消極的なものでしかない。したがって、解放への意図さえフリーダムへの願望と同じではないのである」(ibid p.19)。アレントによると政治的現象としてのフリーダムはギリシャの都市国家(ポリス)の発生と時を同じくしている。フリーダムは「支配者と被支配者との分裂なしに、無支配の状態のもとに市民たちが共に生活するような政治的組織の一つの形態として理解されていた。この無支配の観念はイソノミアという言葉で表現された。(略)いろいろな統治形態の中でこのイソノミアの顕著な性格は支配の概念(略)がイソノミアには不在であるということである」(ibid p.20)。すなわち、君主制なら君主の支配、寡頭制なら少数の支配、民主制なら多数の支配という支配概念が伴うのだがそれがないのである。政治現象としてのフリーダムであるイソノミアは支配の不在によって平等を保障するものであったとアレントは指摘する。通常自由と平等は通約不可能な概念であるとされるが、イソノミアにおいては自由と平等がほぼ一致している。アレントによるとこの平等は人が平等に生まれ平等に作られているから平等なのではなく、自然において平等でない人間が都市国家(ポリス)内において人為的な法によって平等にされるのだという。

平等はこの特殊な政治的領域にのみ存在した。そこでは、人は市民として互いに出会うのであり私的な人格として出会うのではなかった。この古代の自由の概念と私たちの考え方との違い、すなわち人は平等なものとして生まれ、あるいは、平等なものとして創造され、社会的な政治的な(すなわち人の作った)制度のせいで不自由になるのだという考え方との違いはどんなに強調しても強調しすぎることはない。ギリシャのポリスの平等は(イソノミアは)ポリスの属性であって人間の属性ではない。そして人はシティズンシップのおかげで平等を受け取るのであり、生まれによって受け取るのではない。平等もフリーダムも人間本性に本来備わっている性質としては理解されていなかった。どちらも自然的、つまり自然によって与えられ自ら成長するものではない。どちらも法律だった。それは慣習で決められたことであり人工的で人間の努力の産物であり人が作った世界に固有の性質なのである。(ibid p.21)

革命がもたらしたものは「自由であること」の新たな経験であった。西洋の歴史においてそれは新しい経験ではなかったが、ローマ帝国の衰退から時を隔てた革命の世紀においては新しい経験だったのである。そしてこの新しい経験は同時に「人間が何か新しいことを始めることができるという能力の経験」でもあった(ibid p.24)。「自由であること」と「人間が何か新しいことを始めることができるという能力の経験」は共に「人間の斬新なことのできる能力capacity for noveltyを明らかにした新しい経験」であり、これが「アメリカとフランスの両革命の内に私たちが見出す巨大なパトスの根底にあったのである」(ibid p.24)。ここでアレントは新しいことを始めるために、私人としてではなく自由で平等な市民として公共的空間に参加することの重要性を強調している。これは共和主義的な市民の徳とも言い換えられるだろう。ただのリベレイション(解放)にはこうした観念が欠けていてリベレイションの概念だけでは革命は理解できないのである。リベレイションの後にリバティの保護と享受だけが続くのではなく、自由の構成や権力システムの創設が続くのでなければ革命ではないのである。
ここには、私が今までたどってきた人権という観点からみるならばある興味深い記述に気がつくことができる。それは自由と平等は生まれによって与えられるのではなく、人工的な法によって与えられるものであるということと、それと同時に平等と自由が一致したものであるということである。
自由(フリーダム)と平等が「生まれ」ではなく人工的な法によって与えられるということは、人権が法的概念であるというハーバーマスの指摘と重なりあう。ただ古代のポリスにおいては法によって自由と平等を市民に与えるということは、人として生まれとしては同じ人間だが、政治参加する資格の無いものとしては非市民とされるものたちを排除する制度であったとも考えられる。エティエンヌ・バリバールは人と市民の権利宣言の文言は実質上、自由と平等を同一のものとしているとし、古代ポリスのこの自由と平等の同一視と近代のそれとの違いを述べている。彼女はポリスのそれは自由と平等の同一視ではなく、「自由の制限内の平等」であると述べる(バリバール p.59)。アレントがフリーダムと呼ぶポリスの自由は、他の人間から区別された成人男性が得る地位であり、平等はその地位に応じて与えられた制限されたものにすぎない。
バリバールは近代の自由と平等の同一視に「(égaliberté)」という造語を与える。バリバールによればこの自由と平等の同一視である平由は普遍的概念であるという。なぜ普遍的なのかは以下のように考えられる。人と市民の権利宣言に関して、宣言されたのは人の権利なのか、それとも市民の権利なのか、といった問われ方がよくなされる。しかしバリバールによるとこうした人と市民の区別は無意味である。人と市民の権利宣言は人間=市民としたところに意義がある。これは人権と市民の権利が同じものであることを示している。それらが同一であることを示すのは、人と市民の権利宣言第二条「あらゆる政治的団結の目的は、人間の消滅することのない自然権を保護することである。これらの権利は、自由・所有・安全・圧制への抵抗」である。政治的団結、つまり市民となり秩序ある市民状態へ移行することの目的は、人間の自然権の保護とされている。ここで注目すべきは「圧制への抵抗」である。圧制への抵抗とは人間の自由を回復することである。圧制や不当な支配があるなら、自由が制限されていると同時に平等も制限されている。圧制や不正な支配は不平等をもたらすがゆえに、圧制や不正な支配からの自由が求められる。以上のことは経験的な事実である。自由と平等の意味を本質主義的にとらえてはいけない、経験的に自由と平等の外延は一致しているのである。「市民」とはまさに「自由で平等な」という限定詞抜きでは定義できないのである。
ところで、人民主権とは自由で平等な市民たちの自己決定である。この自己決定の正当性は、自己決定したという事実から得られるのではなく、自由で平等な市民によってなされたという事実から得られる。自己決定の結果が、自由で平等な市民という政治主体の在り方を否定するものであるならその決定は自己決定とは呼べない。そしてそうならないために自己決定の正当性を担保する手続き自体が自由で平等な市民の決定によって法制化されるのである。私は私的自律の保証を消極的自由の保証としておいた。消極的自由とは圧制や強制の無いことである。そして圧制や強制からの自由は同時に平等を意味する。平等と自由を決して一緒にしてはいけないというバーリンの忠告に反しているが、それでもこの消極的自由の保障としての私的自律の保証は、市民の独立の不可欠の条件として平等に保障されていなくては意味をなさない。こうした形での私的自律の保証は、私的自律の保証された個人をただのエコノミック・アニマルとは区別された市民としてのアイデンティティを確保することになるだろう。そしてこうした私的自律こそが公的自律を繋がるのである。

おわりに

さてここまでいくつかのトピックを辿ってきたが、振り返ってみると一八世紀の革命に多くの紙面を割いてきた。そこで私が人権の始まりを一九四八年の世界人権宣言にしたということに疑念がわいてくる。しかし一八世紀の革命は「自由の観念と新たなはじまりが一致している」ということとそのパッションとを忘却してしまった。世界人権宣言以降、あるいは第二次世界大戦終戦以降、私たちは世界規模で多くの人間が同時に「自由の観念と新たなはじまりが一致している」という経験を持つことが可能になったのではないのだろうか。世界人権宣言とそれ以降の権利革命という事実があったからこそ、契約論に人権と人民主権の繋がりを見いだしたハーバーマスの思想や自由と平等とを概念的に同一であるとしたバリバールの思想に有意義性を感じるのだ。人権への懐疑論は人権に対する期待への裏返しである。自由と平等は私たちの事実であるのだから、人権に背けるのは自分に背けることと同じことである。「新たなはじまり」とは人の新しいことができるという能力を体験することである。チュニジアとエジプトでの革命によってまさに世界規模で私たちはそうした体験をした。


使用文献
Arendt, Hannah The origins of totalitarianism. Harcourt, Brace & World, 1966
 『全体主義の起源 2 帝国主義』大島通義、大島かおり訳(みすず書房、1981)
――― On Revolution. Penguin Books, 2006
『革命について』志水速雄訳(筑摩書房、1995)
Berlin, Isaiah Liberty: Incorporating our Essays on Liberty, edited by Henry Herdy, Oxford University Press, 2002
――― The Crooked Timber o Humanity: Chapters in the History of Ideas, edited by Henry Herdy, Pimlico, 2003
Williams, Bernard In the Beginning Was the Deed Realism and Moralism in Political Argument, Princeton University Press, 2005
イグナティエフ、マイケル『人権の政治学』エイミーガットマン編、添谷育志、金田耕一訳(風行社、2006)
ハーバーマス、ユルゲン『公共性の構造転換 市民社会の一カテゴリーについての探究』細谷貞夫、山田正行訳(未来社、1994)
―――「シティズンシップと国民的アイデンティティ ― ヨーロッパの将来について考える(ラディカル・デモクラシー)」住野由紀子訳『思想』867巻9号(岩波書店、1996)
―――『他者の受容 多文化社会の政治理論に関する研究』高野昌行訳(法政大学出版局、2004)
バリバール、エチエンヌ「「人権」と「市民権」現代における平等と自由の弁証法」大森秀臣訳『現代思想』27巻5号(青土社、1999)

参考文献
植村邦彦『市民社会とは何か 基本概念の系譜』(平凡社、2010)
内山博信『討議と人権 ハーバーマスの討議理論における正当性の問題』(未来社、2009)
カルドー、メアリー『グローバル市民社会論』山本武彦、 宮脇昇訳(法政大学出版局、2007)
ディランティ、ジェラード『グローバル時代のシティズンシップ 新しい社会科学の地平』佐藤康行訳(日本経済評論社、2004)
三浦信孝編『来るべき民主主義 反グローバリズムの政治学』(藤原書房、2003)