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心の友


「今度一緒にご飯を食べよう」とか「呑みに行こう」「買い物行こう」などなど
誰でもそんな友人は一人くらいいるものだと思っていた。
そして今の私には、気軽にLINEでもして「今暇〜?」なんて言える友人なんていない。
腹の探り合い(一方的かもしれないが)な人ならいるけれども‥。
LINEや電話でも大体仕事の関係者で「今大丈夫ですか?例の件なんですけど‥」そんな会話しかしたことがない。


第一章:
母が亡くなってしばらくして「どうして言ってくれなかったのか」と電話をしてきてくれた友人がいた。
独身の頃によく遊んだ地元の同級生だ。
どちらともなく結婚、離婚、色々あってそのうち連絡を取り合うことも無く、どこかでばったり会ったら「元気?」くらいの会話しかしなかった。

母が亡くなったことを誰かに聞いたそうだ。だから「どうして言ってくれなかったの」だった。

ああ、そういえば彼女、若い頃よくうちに泊まりに来てたな。
母は私が大人になってからの友人なんて、特に気にもしてなかったけど。
休みの日には海までドライブして色んな話をした。
恋愛の話、職場のお局の話、彼女が妊娠したかもしれないと二人で悩んだことも。
そして何十年か後、やつれた私の顔を見て言った。
「どれだけあんたがお母ちゃんを助けてきたか‥何故そんな思いをしなくちゃいけないのか」
彼女との仲は空白が何年もあるのに、彼女は気付いていた。高校を卒業して家業を手伝わされていた私を哀れに思っていてくれていたのか。
そして彼女とは付かず離れず、思い出しタイミングが合うとたまにお茶に行くようになった。
近況を話し合って知ったが、今度は私が彼女の話を聞いてあげる事になりそうだ。
男運は相変わらず悪いが、彼女は彼女なりに頑張っている。
今の二人の目標は、病気しないこと。

第二章:
何年か前、facebookで彼女を偶然見つけた。
思い出が蘇る。お元気そうだな。
彼女は幼稚園の頃からの同級生で、特に高校時代はいつも一緒だった。
頭が良く、ユーモアのセンスもあり、私は彼女の持つ独特な空気感が好きだった。
サブカル好きで趣味が同じ。映画を見に行ったり、音楽、雑誌、全て彼女と共有した。
しかし彼女の大学進学と同時に連絡を私から途絶えさせてしまった。
そこが別れ道だった。
私達は同じ場所にはいられない。多分これからもずっと‥。

見つけたfacebook経由で連絡をしようとしたが心のブレーキがかかった。
もう私の記憶にある「彼女」ではないかもしれない。
今連絡して何を話せばいいのか…。
それから月日が過ぎ、ある人に彼女の話をすると
「連絡とってみれば?きっと喜ぶと思うよ!」と言われた。
心身共に疲れ果て、果たして自分は何のために生まれてきたのかとか、これからどう前向きに生きていけるのかとか、そんな事ばかり考えていた矢先だった。
非常に迷った。彼女と友達である事を昔母に禁じられていたからだ。
母はただ彼女のお母さんの事が嫌いだった。
彼女のお母さんも母というよりも私の実家が嫌だったようだ。
そんな時代だった。そこはしょうがない。
彼女も私も嫌な思いをした経験があるのに、一体何を話せば良いのだろう。
しかし、それを止める人間はもうどこにもいない。ブレーキをかけていたのは私自身だった。

今年の初めにかつて彼女と一緒によく聴いていたミュージシャンの訃報を目にする。
そして同じメンバーだった世界的ミュージシャンも後を追うように亡くなってしまった。
あの聴き慣れたピアノイントロを耳にするたび彼女の顔が浮かんでくる。テレビを見ても車の中のラジオからも何度も何度もそのメロディが胸に押し寄せてくる。
哀しくて寂しくて、あの頃に無性に戻りたくて、そして当時の彼女に会いたかった。
もう私の事など記憶にないかもしれない。でも一方的に連絡を絶ってしまった事だけは謝りたい。
思い切ってメールを書く事にした。
送信ボタンを押すにも何度も指が止まっては読み直し、少しだけ動くがまた止まって‥  そしてついに押してしまった。

「あの子からだ。。。困ったな‥」彼女の困惑した表情を勝手に想像していた。
布団を被って何日も眠りたくなるくらい後悔していた。
返信が来なくても、何度も書き直したメールだ「久しぶりの手紙」なので一応目を通してはくれるだろう。
一方的なことは書いていない、昔話もせず近況だけだ。元気かどうかだけ知りたかった。
それでいい。返事が来なくても。

二日後、返信が来た。
長い長い文章だった。
返信が来た驚きと、書いてある内容で涙が溢れた。
「嬉しくて泣いてしまった。まさかまたこうやって話せるなんて‥!本当にありがとう!」
まるで昨日会ったばかりだよねっていうくらい、くだけた文章で私の名前も愛称で書いてくれていた。
「この愛称で呼ばれるのは何年振りだろう。」
しばらく書いてある事が頭に入らないくらい涙が溢れて読めなかった。
そして、zoomの約束をしてまた彼女と夕食の事も忘れるほど長い長い話をした。
「お互い少しだけ年とったね笑」
どちらも仕事が忙しいので、今では長文メールのやり取りだ。他愛ない対してとりとめも無い、ごくごく普段の日常の事をお互いが書く。まるであの頃の交換日記のようだ。
遠方に住んでいるので「今度お茶かご飯でも」というわけにはいかないが、間違いなく彼女はいる。存在している。
そして私も。

「生きているうちに会えたらいいとずっと思っていた」
「高校時代の旅行で一緒に見た景色、今度出張で行くからまた同じ場所に立って思い出す事にするよ!」
「これだけは忘れないで、⚪︎⚪︎はずっと私の心の友だった。時々思い出していたよ。だから元気でいてよ!お願いよ!」


こんな便利な世の中になるとも思っていなかったし
こんな酷い世の中になると思っていなかったし
こんな年になって辛い目に遭うなんて想像もしていなかった。
何よりもこんな私に心の友が存在していたなんて夢にも思っていなかった
これほど嬉しい言葉は他に無い。彼女は私にとっても「心の友」だった。

真っ暗闇だと思っていた毎日が、いつしか色が少しずつ滲み出るようになってカラーになっていく
そして今の私がいる。
他人を慰める言葉なんて、いざ目の前にしたら何も言えないものだ。私も言葉を選ぶうちに失敗する事が多い。
威圧感があって偉そうに見えるのが嫌で、いつも猫背で頭を低くして話をする癖がついた。
それは相手に心を開けないから。
灰色の日々を過ごしてもう4年程になろうとしている。
ありのままの私を見ていた人が一人ならず二人もいただけでも、私はきっと幸運の持ち主だ。

ふと見上げた青い青い空を見て、そう思った。

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