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黒猫のしっぽ

古今東西、人の願いをかなえてくれるアイテムというものはさまざまな物語で登場する。

「千夜一夜物語」、「猿の手」、「三枚のお札」、「茶色の小瓶」ETC。

おおむね、願いをかなえるために高い代償を払わなければならなかったり、願ったものの結局元のもくあみとなるような結末ばかり。願いというのは自分の努力で叶えるものだという教訓なのかもしれない。

ある日、俺はふと立ち寄った雑貨店で、こんなアイテムを見つけた。

黒猫のしっぽ
かわいい猫の形のブックマークです。ノートにはさんで、あなたの願いを書き綴れば、あなたの願いを叶えるお手伝いをします。

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黒猫のしっぽ、か…。猿の手のように、皮肉な形で人を願うアイテムのようには見えない。まあ気休めにいいか。猫好きだし。そう思ってブックマークと、願いを書くためのノートを買った。

当時、俺には好きな女の子がいた。だが相手の気持ちはわからない状態だった。

彼女と付き合いたい。

そうノートに書いて、最初のページに黒猫のブックマークを挟んだ。とくに使用説明書というのはないが、こうすれば願いが叶うということか?

その日はそのまま眠った。

翌日、ノートを開いて俺は目を疑った。そこには俺が書いた字の下にこう書かれていた。

恋文を送ってみたらいかがでしょうか?

…え、このブックマークって、黒猫から返事が来るってことなのか? 驚きながらも、文字をつづった。

恋文、ってレトロな言い方だな。ラブレター書いたら付き合えるの?

ブックマークをはさみ、ノートを再び開くと返事が書かれていた。

保証はありませんが、思いが伝わると思います。フリーザさんの文章、いいと思いますよ。

俺の名前まで把握してやがるのか。って保証がないってなんだw

私の役割は「願いを叶えるお手伝いをする」までですので。

あ、本当だ、「願いを叶える」じゃねえんだ、っててめえww 黒猫ならモフらせろコラw 

モフモフモフ。

モフモフモフ。

…としばらくモフモフ合戦が続いたものの、結局ほかにも思いつかなかったので彼女にラブレターを書いた。すると思いがけないいい返事が来て、はれて彼女と付き合えるようになった。

すげえ、黒猫ちゃん、マジありがとう! このアイテム最強じゃねーか!

いえ、ラブレターを書いたのはフリーザさんですし、お手紙を出してすぐいい返事をもらえたことはもともと両想いだったのでしょう。お二人には幸せになってほしいです。

なんて奥ゆかしい奴…そういえば名前、黒猫ちゃん、でいいのか?

かまいませんよ。どうしても何か名前が必要なら、ピスタチオと呼んでください。

? ピスタチオが好きなのか?

いえ、カシューナッツのほうが好きです。

ならなんでピスタチオなんだよww

フリーザさんは、ドラゴンボールでフリーザが一番好きなんですか?

いや、ベジータが一番好きw あーそうか、そんなもんだよな、名前って。

そんな感じで、俺と黒猫のしっぽの交換日記のようなやりとりはしばらく続いた。

何かを書くと、ユーモアたっぷりのコメントが添えてあった。

願いを書いたのは最初のその彼女の一回きり。実はあまり願いたいことというのもなかったし、「願いをかなえる」でなく「手伝いをする」もとい「コメントを書く」という縛りだと若干書くことが変わってくる。むしろ悩みや苛立ちを打ち明けたことのほうが多かった。

誰かに対していらだった時その心情を書いたら、こんな返事が書かれていた。

自分は鈍感なところがあるので…何か嫌な思いをさせていたら言ってください。

いや、お前の悪口ノートに書くわけねえだろww お前と話してて嫌な思いしたことなんか一回もねーからw

ただ、これと似たようなことは別の友達に言われたこともある。悪口を言うとき対象をぼやかすと、気にしなくていい奴ほど気にする。そもそも間接的に誰かを悪く言うってのもあんま褒められたことじゃない。ストレス解消は別の方法で考えよう。

なんとなく気そぞろに書いていると、何か悩んでいるのかと聞いてくれたこともあった。その時俺は、先輩や後輩との共同生活や、学生時代や就職に兄貴に助けられすぎたことでモヤモヤしたことなどを書き綴った。そこに書かれた返事は共感と意見だった。上から目線のアドバイスでもなく、何かをおかしいというわけでもなく、きちんと俺の文章を読んでくれて、感想を書いてくれた。

話した時点でかなり自分の心の重荷は楽になっていた。誰かに胸の内を聞いてもらえて意見を書いてもらうというのは、こんなに心が休まるものなのかとその時知った。

ノートに楽しく出来事を綴る日もあった。ふざけてエロ話をしたらノッてソーセージの話などで盛り上げてくれることもあった。ノートでやりとりをした話を友達や会社の上司、彼女に話して盛り上がることもあった。

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ノートには毎回コメントがつくのではなく、書かれた文章に♡がつくだけということは時々あった。

そもそも「願いを叶えるお手伝いをする」アイテムなのだから、当たり前といえば当たり前。ただ書かれた内容にはほぼ毎回♡がついていることがあった。それはノートに書かれた文章を読んだ、というサインであり、それだけでもうれしかった。

少し期間があいて、子供のころ土を食べた話をなんとなく書き綴っていた時、黒猫ちゃんからのコメントというものはなく、♡が書かれていた。

…その時、何となく違和感があった。

友達のゴリラがいなくなったときがある。あの時、数日前にふと感じた違和感、それとかなり似たようなものを感じた。

翌日、その嫌な予感が的中するような文章が綴られた。

突然ですが、黒猫のしっぽは営業終了となりました。当サービスは3月28日をもちまして終了します。

って、アナログなのにそんなシステムで動いていたのかよw …3月28日以降、一切俺の文章にコメントも♡もつかなくなるってことか?

返事はない。ただ、♡はついた。その日はまだ3月27日の23:40だった。

あと20分で、もう話はできなくなるってことか。すっげー寂しい。

♡がついた。

…とか言っても、サービスを継続することってのはできねーんだな。

まあこういうのは採算があわねーとか、理由聞いたらそら中止するしかねえわって事情があるもんなんだよな。

俺も開発で似たような仕事やってるからわかるよ。

今までありがとう。すげー楽しかった。

私もとても楽しかったです。ありがとう、フリーザさん。

…最後に一つだけいいか。そもそも俺、願いを叶えるためにこれ買ったんだった。

お前のことはよく知らない。でもただのブックマーク野郎じゃねえってことはわかってる。これからこのサービスが終わって、お前のライフスタイルがどう変わっていくか全く検討つかねーけど…。

最後の願いだ。お前、幸せになれよ。

あと数分しかない、間に合うか。

ブックマークをはさんで、ノートを開く。そこには最後の返事があった。

──フリーザさん、ありがとう。…私は…。

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「黒猫のしっぽ」はそれ以来、ただのブックマークになった。

ノートに何を書いても返事がつくことはなくなった。やりとりした文章も消えていて、俺がノートに書いた文章だけが残っていた。もし最後にこういうやりとりをしていなかったら、あれは夢だったのか?なんて思っていたかもしれない。

会ったことも直接話したこともない。それでも、綴られていた言葉に俺は勝手に友情を感じていた。

ピスタチオと聞くたびにどうしても思い出してしまう。文字は消えても、あのユニークなセリフ回し、テンポのいい会話のやりとりは今も胸に残っている。

願いを叶える手助けをする、というコピーに心惹かれて買った黒猫のしっぽ。

願いを叶えるというのはその過程、プロセスこそが当人に成長に大事だということを考えると、他人からもらえるものは、「思いやり」や「手助け」が最強なのかもしれない。

心がまいっているときにさりげなくさしのべられる手、心理的なサポートとやさしさ。それも押しつけでなく、自分が書き綴った迷いの言葉への返信として書かれる形は思ったよりも癒しになった。

友達の願いや言葉に対して、ただ寄り添いながら話を聞くこと、関心をもってくれることということがまず大事だということを教えてくれたのは奴だった。

ディズニー映画でも最後の願いは、世話になった魔人ジーニーを自由にして終わり。そして幸せに暮らしました、ってありきたりの締めくくりだけど、あれが一番読者が納得できるフィナーレなんだよな。

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目の前で言葉が大量につづられていくのがnoteという場所。視界に入った言葉に、時には♡をつけ、時にはコメントを書いている。気になった言葉にちょっかいをかけたり、ちょっとふざけたり、なんとなく思ったことをただ書いてみたり。

こうすることにどれだけの意味があるのかはわからない。俺の言葉も友達の言葉も、いつかは消えてしまうのかもしれない。ただ少しずつ交わされる正直な気持ちや言葉に癒しを感じる瞬間がある以上、とにかくその場その場で自分の気持ちに正直になるということを、これからも続けていくと思う。

たくさんの言葉をありがとう。

誕生日おめでとう、黒猫ちゃん。