マルタ騎士団

戦争を引き起こそうと画策する者たち


マルタ騎士団は世界最古の騎士団であり、その本部をローマのコンドッティ通りにあるマルタ宮殿に置く。マルタ騎士団は、国際法及び国連により主権団体とみなされており、イタリアの中で、大使館のような治外法権をも有する。マルタ騎士団と聖ヨハネ騎士団は、戦争エンジニアである。多くの王室のメンバーや、立憲君主国のトップがマルタ騎士団員である。マルタ騎士団がほかの騎士団と異なる点は、主権団体であることだ。この騎士団は、バチカンを上回る権威をもつために、ほとんどの君主がメンバーとなっている。メンバーには、前スペイン国王のホアン・カルロス、ルクセンブルクのアンリ大公、オーストリアのカルル・フォン・ハプスブルグ、ベルギーのフィリップ王、パオラ女王、オランダのベアトリクス女王、ナポリ公ヴィットーリオ・エマヌエーレ・ディ・サヴォイア、バイエルン公フランツ、ユーゴスラビア皇太子アレクサンダー、ボルボーネ公ルイ・アルフォンソ、両シチリア公カルロ・デ・ボルボーネ、パルマ公カルロ・デ・ボルボーネ、トウルン・ウント・タクシス家王女エリザベート, ロシア大公妃マリア・ヴラジミロブナ、ロシア大公ゲオルギー・ミハイロヴィチ、リヒテンスタインのアロワ王子, ウィンディシュグラーツ公マリア・ウーゴおよびバルディ伯ジェーム公がいる。スペイン、オランダ、ベルギー、リヒテンシュタイン、そしてルクセンブルグは王室支配君主制をとっている。欧州委員会議長のジャンクロードユンカーは、マルタの騎士である。エリザベス2世(エリザベス女王)は、マルタ島の女王でもあり、聖ヨハネ騎士団というマルタ騎士団のプロテスタントの支部を運営している。聖ヨハネ騎士団ブランデンブルク大管区もまた、マルタ騎士団と関連があり、プロイセン-ホーエンツオレルン家オスカー公の指揮下にある。


ファステンバーグ公ピーター・フライヘルは、マルタ騎士団ドイツ支部の副代表である。マルタ島およびスペインと関連のあるもう一つのマルタ騎士団は、アラゴンカスティリアのパテルノ公の指揮下にある。モンテ・ディ・ピエタは、バチカンとマルタ騎士団が設立した金貸し会社で、チャリティーをうたっていたが、いくつもの銀行を創設して国際的グループへと発展し、マルタ島のバレッタに本社を置く。


カルロ・マッシモ公は、マルタ騎士団のイタリア支部のトップでローマからひそかに騎士団を管理している。彼は、極度に好戦的で残忍である。マッシモ家は、法王聖座(バチカンの領土のこと)とマルタ騎士団を一部所有している。オーストリアのルートウィヒ・ホフマン・フォン・ルメンスタインは、マルタ騎士団の現在の副代表である。ルメンスタインは、大司令官で、マッシモ家、ルチエシ-パーリ家、パラビチーニ家、そして、オデスカリーチ家の家々は、マルタ騎士団を支配しており、国家君主らの高位のメンバーの主権を保証している。オーストリアの貴族はイタリアの貴族と連携していて、マルタ騎士団の運営を助けている。マルタ騎士団のソブリン評議会は、世界最高位の軍事評議会で、戦争の立案、実行を行っている。ルドビコ・チギ・アルバーニ・デッラ・ロベーレ公は、第2次大戦中にマルタ騎士団のグランドマスターを務め、彼の義母はロシュフコー家の出である。現在の幹部メンバーには、ジヤコモ・ダッラ・トーレ・デル・テンピオ・ディ・サンギネット、グランドチャンセラーのアルブレヒト・フライヘル・フォン・ベーゼルガー、グランホステルのドミニク・ドラ・ロシュフコー・モンベル公、そして、「共通の宝の受取人」であるヤノス・エステルハージ・ガランサーがいる。ベーゼルガー家は、ナチス党員で、偽旗のヒトラー暗殺未遂事件”ワルキューレ作戦“に関与している。ベーゼルガー家は、騎士で俳優のトムクルーズを抜擢してこの事件についての映画を製作した。クルーズは、ローマのオデスカリチ城で結婚した時に騎士に叙されている。ロシュフコー家は、フランスの貴族である。エステルハージ家はオーストリアのローマカトリックの貴族である。リチャード・フィッツラン・ハワードは、マルタ騎士団英国支部の代表であり、イアン・スコットは、イングランド大修道院の大修道院長だが、この組織は、マルタ騎士団の昔の英国支部に当たる。エーリヒ・フォン・ロブコウィチ公は、ドイツ騎士団の代表で、彼の親戚のシャルル・アンリ・ド・ロブコウィチも、マルタ騎士である。オーストリアの貴族は、常にマルタ騎士団と関連があり、彼らのほとんどはローマカトリック教徒である。オーストリアのガレアス・フォン・トウーン・ウント・ホーヘンスタイン公は、マルタ騎士団の元のグランドマスターである。

ウイリアム・F・バックレー Jr.は、マルタの騎士であり、米国における保守派政治コメンテーターでもある。パット・ブキャナンは、もう一人の保守派政治コメンテーターであり、マルタの騎士である。J. ピーター・グレースは、米国のビジネスマン、政治家で、国家政策審議会のメンバーであり、マルタの騎士でもある。ナチスの副チャンセラーのフランツ・フォン・パペンは、マルタの騎士であった。ナチスの将校、ラインハルト・ゲーレンは、マルタの騎士であり、第2次大戦後に、米国のためにドイツの諜報活動を指揮していた。ドワイト・D・アイゼンハワーは、米国大統領で唯一、公式にマルタの騎士と知られている大統領である。マルタの騎士であるジョゼフ・シュミットは、ジョージ・ブッシュ大統領の下での国防総省監察総監であり、また、民間の軍事会社ブラックウォーターワールドワイドの幹部でもあった。この軍事会社は、後にアカデミーと改名後、クレイトンコンサルタント社とともにコンステリ社に買収されている。クレイトンコンサルタントのトップは、イエズス会系のジョージタウン大出身でマルタの騎士と思われるアーマンド・ガヅーリであり、彼はコントロールリスク社を通じて国防総省にアドバイスを行っている。ジョゼフ・シュミッツは、ジョージタウン大の教授で選挙戦中にトランプ大統領の政治顧問を務めた。ブラックウォーター社創業者のエリックプリンスは、マルタの騎士の可能性が高く、彼は同社の傭兵をキリスト教の十字軍と呼んでいた。彼はトランプ大統領に助言していた。イエズス会は、1960年代にイラクから追い出されていた。このほか、マルタの騎士には元CIA長官ジョン・A・マコーン、ウイリアム・J・ケーシー、ウィリアム・コービー(戦士の僧侶のあだ名がある)がいる。マルタ騎士団は、ジョージタウン大とその学部のスクールオブフォーリンサービス(SOF)内に隠れた作戦活動を有しており、イエズス会士を通じてペンタゴンを操作している。ジョエル・ヘルマンは、ジョージタウン大スクールオブフォーリンサービスの学部長である。ジョージタウン大の学長のジョン・デジョイアは、マルタの騎士と思われる。ジョゼフ・ケネディは、マルタの騎士で、アイルランドのフィッツジェラルド家のローズ・エリザベス・フィッツジェラルド・ケネディバチカン伯爵夫人と結婚した。エイドリアン・フィッツジェラルドは、マルタの騎士で、マルタ騎士団のアイルランド支部を運営している。マルタ騎士団は海洋法を仕切っている。マルタの騎士アービッド・パルドは、国連海洋法条約を作った。

マルタの騎士、アレクサンダー・ヘイグは、ロナルド・レーガンの下で米国陸軍大将と国務長官を務めた。また、彼は、ニクソン、フォード大統領の下で、大統領首席補佐官を務めた。
ヘイグはまた、ジョージタウン大出身のイエズス会士でもある。彼は、70,80年代にペンタゴンとホワイトハウスを陰から操り、おそらくは英国貴族のヘイグ家の末裔である。二代目ヘイグ伯、ジョージ・ヘイグは英国貴族で、英国軍騎兵連隊員であり、マルタの騎士団プロテスタント支部である聖ヨハネ騎士団員であったが、2009年に亡くなった。彼の息子が、3代目ヘイグ伯、アレクサンダー・ヘイグである。ベトナム戦争は、「スペリーの戦争」とあだ名された。なぜなら、米国のスペルマン枢機卿がこの戦争を支持したからである。


CIAは、「CIAの父」とあだ名されているウィリアム・ドノバンにより創設され、彼は、バチカンから騎士の爵位を授けられていて、おそらくマルタの騎士でもある。イエズス会出身のCIA長官には、ロバート・ゲイツ、ジョージ・テネット、レオン・パネッタ、マイケル・モレル、デービッド・ペトレイアス、ジョン・ブレナンらがおり、彼らはマルタの騎士団の指揮下にある。元のCIA長官ジェームズ・クラッパーは、ジョージタウン大の教授であった。イエズス会は、教皇パウロ3世(俗名アレッサンドロ・ファルネーゼ)のもとで、「教会過激派(協会の軍隊)」と呼ばれる教皇勅書を通じて、ファルネーゼ家によって設立された。ファルネーゼ家は、「ファルネーゼ・カプラローラ」と呼ばれる5角形の要塞に住んだ。 ファルネーゼ家の血統は両シチリアボルボーネ家とパルマボルボーネ家へと受け継がれた。バチカンとマルタ騎士団は米国の軍事と諜報に密接に関与している。マルタ騎士団は、「セントジョージの聖なるコンスタンティヌス騎士修道会」を管轄しており、この組織のトップは、両シチリアボルボーネ公カルロスとパルマ-ボルボーネ公カルロスの二人で、ともにマルタの騎士であり、この二人はイエズス会を指揮している。マルタ騎士団米国支部のプレジデントは、ピーター・J・ケリーが務め、チャンスラーはリチャード・D・ミロン、会計は、ジェームズ・F・オコーナーである。マーガレット・メラディーは、ワシントンDC.にあるマルタ騎士団連邦支部(南)のプレジデントである。

翻訳:Lapis

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