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空白にはしたくない

お久しぶりです。漂泊です。

私は昨年度の12月にとある化粧品会社を突如離職してしまいました。
同年8月に就いた会社なので、就業期間はたったの4か月。まあ、いろいろありました。

"化粧品が好き"の部分だけを切りとってしまった私は人間関係や仕事内容あらゆることで空振りしまくり、追い出されるかのように退職。1人ノーヒットノーランを達成したような気持ち。スカッ…

直属の上司とのOJT中、上司とアイコンタクトができない、僕に質問を投げかけるも言葉が全く出てこない、わからないと発語することですら苦しかったあの日々は異常だったのかもしれない。

化粧品会社の営業職からうって変わり、今は医療秘書の仕事をしています。
はじめての医業、以前ドラッグストアに勤務していたため医薬品の知識はないことはないとはいえほとんどが未経験。ボーナスがなかったり、バタバタで休憩時間が法定通りではなかったりしているけれども、今は充実している日々を過ごせています。それは、前職就業期間と離職期間をどうにか活かさないと思う気持ちが仕事に現れているからかなと。僕は社会不適合者なんです。社交不安で注目を浴びると頭が真っ白になるし、今でも上司に声をかけることですら変な汗をかく。それが通常営業。でも、でも、社会にとっては知ったこっちゃないから。着座して手と呼吸が震えている間にも時は震えるそうだ。それが前職でわかったから、どうにかしてあがくしかないという気持ちの整理がついたから時の震えについていくことができています。まだまだ、ひと月の給与に見合う働きはできていないけれども、おかげさまで"貢献"という名の、組織の隙間に入り込むことができつつあります。

先日、X(:Twitter)にて"人生は25歳くらいからはじまった気がする"という投稿を見かけました。共感でしかありませんでした。これまでの私は夢と不満を語り、いざ行動には起こさないようなクソガキでした。自分がクソガキであることを認知したのがこの25歳(満年齢24歳ですが)でした。そうとしか思うしかない固定値に対して中指をたてるだけたてて、変動値である自分に対しては大した投資を行っていませんでした。

気づくのがあまりにも遅すぎ。まわりは都内で自動車を所有していたり、大卒の幼馴染は婚約したそうだ。クソったれ、自分。でも何度も言うが時は震えています、もう引き返せないらしいから、行くしかないです。これまでの数か月は、空白というよりかは、鉛筆で雑多に空欄をグリグリと塗りつぶしたような期間でした。多くは消しゴムで白くしようとすると思いますが、どうせまっさらにはならないのは知っています。その筆跡を味として占めなければならないとは思っています。傷を一生舐め続けます。

とりとめのない文章になったけれど、発散がてら殴るかの文章は結構気持ちがいいものです。ではまた。



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