ペンは剣より強し

色んなことを怖いもの知らずで放言し、さして後日の編集も削除もせずにいろいろな場所に公開したままにしているわたしだけど、最近特に感じることがある。

記事を公開するボタンを押すのが、怖い。

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年々、怖いという感情が強くなっている気がする。どんな些細なことでも、書いてモノの形(つまりは文章)にして公開すると、そこには不特定多数の他者がいて、それぞれの人生があって、それぞれのバイアスがあって、わたしの文章が読まれる可能性がある。

もちろん、SEO対策もSNSマーケティングもなにもやる気がなく、お金を稼ぐどころか、お金を払って広告を消すようなわたしだから、正直言ってアクセス数はめちゃくちゃ少ない。炎上したこともない。

コンプライアンスにこだわりきれているわけではないけれど、特に最近は過激な発言も控えるようにしているし、明確に悪意を持った文章の書き手だと認識されないだろうと思っている。それでも怖いという感覚は全く拭えない。

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無自覚に人を傷つけていないだろうか。不要な不安を煽るような文章になっていないだろうか。公開する前に逡巡する。逆に気をつけすぎて、誰にとっても毒にも薬にもならない文章になっているように思えてボツにしたこともある。

ついつい忘れてしまうのだけれど、ペンは剣より強しという言葉がある。本当に強いのはペンではなくて言葉だ。言葉は当然ありとあらゆる場所で交わされていて、隣の席の同僚でも、コンビニの店員とでも、SNSでも、この記事でも当たり前のように使われている。人と人とがコミュニケーションをとる現時点で最もよく使われている手段のひとつなのだから、当然だ。

でもそれは、実はどんな暴力よりも凄惨な事態を引き起こすことができる。諸刃の剣なんだ。

わたしはそれを扱うということを選んだ。もはやこの時代、言葉を扱うことにアマとプロは関係ないのに、その意識なく、自分はアマチュアだというのに言葉を人前で扱っている。

自分の言葉が、誰かへの刃になっていないか。自問自答する。もちろん、わたしはわたしの視野でしか物事を見られないから、完璧なんてあり得ない。だけど、可能な限り想像をするようにしている。

アクセス数が少ないから気にしなくていい、というのも言い訳としては弱い。この記事もさして読まれないだろうけれど、それが放言をしていいということにも、誰かを傷つけるようなことを言っていいということにも繋がらない。筋が通らない。

自分は寂しいから文章を書いていた。ひとりで、自分の中にある言葉、自分の中にしかない想いをなんとか言葉にして、形にしておきたいと思って、文章を書くことを習慣とし始めた。その習慣はこれからも維持したい。

だけど、曖昧にしてきた言葉を人前で扱う覚悟について、わたしはまだしばらく怖さを感じ続けることになるのだろう。怖さが勝つか、習慣にするという意思が勝つか。


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