お金のもらい方

どうやったらお金が手に入るだろうか、ということはあまり考えていない。noteという場でこんな話するのも変だが、自分がここに記事を書き続けているのはお金のためでは全くなく、最近なんかやっている人が(目に見える範囲では)多いなと感じるようになったので少し始めてみただけだ。自分自身誰かの有料noteを買ったことはないし、興味がない。お金を払うほどの価値のある記事は1個人の片手間で書けるような時代ではない。

なので金銭的には一切noteというプラットフォームに貢献していない。たまにいいなと思った記事をはてなブックマーク(外部サービスじゃん!)している程度だ。また、自分の記事はすべて無料公開にしている。最初に書いたけれど、わたしは文章を書くプロではない。文章に値段をつけるなどおこがましいと思っている。だから無料だ。文章の価値を決めるのは書き手ではなく読者だ。

話がだいぶそれたが、お金の話に戻す。最近メルカリでいろいろと本を売っている。なぜメルカリなのかというと、専門書が多いのでブックオフなどのチェーン店では正当な評価がなされないことを危惧しているからだ。これは自分がお金を得たいという気持ちと、もうひとつはその専門書自体が価値のわからない人のもとへ行き廃棄処分されたりすることを是としていない。

メルカリでその問題が解決するのかというと、半々だと思っている。少なくともチェーンの古本屋はそのお店が欲しくないと思っていても、いずれ捨てるだろうと思っていても買い取る。そういうもんだとアルバイトを通じて知った。一方で、いくら安くても要らないものは要らないので、メルカリで買ってくださる人は少なくともその本になんらかの価値を感じている人だとは思う。

もちろんその人が本当に読むのか、誰かに渡すのか、わたしが値付けた以上の値段で誰かに売り払うのかはわからない。わからないが、まともな人に届く確率が少しでも上がり、かつ自分も少しでも益を得られるのであれば、少し信じたい。

お金は使う時よりも得ようとするときのほうがいろいろなことを考える。わたしには本業がある。本業では、なんらかの価値を社会に提供できているか、わたしが所属する組織はこの社会を少しでも良くする方向へ推進しているかを定期的に振り返っている。そこに確信がもてないとき、わたしはその組織から給与をいただきたくないと思う。

娯楽も消費も、間接的にではあるが誰かの生活費になる。だからお金を使うことにはあまり躊躇しない。もちろん、犯罪に寄与したりするようなお金の使い方をしてはいけないが、生活をする過程で何にお金を使っても顔も知らない誰かのためになっていると思える。それが市場経済だ。

だがお金を自分がもらうとき、そのときは自分の何かしらの資産(労働力、モノ、そのほか)と交換している。それに金額がつく。お金を得ているのは自分で、お金と交換に何かを得ているのが他者だ。

わたしはそのことが怖い。わたしがお金を払うことは、誰かのお金になっていると考えられるのだとさきほど書いた。しかし、わたしがお金をもらうときは、誰かのお金になるわけではないのだ。お金とお金を交換しているわけではないから当然である。

だからわたしがお金をもらうときは、自分が与えている対価はなんなのかが気になる。それは所属組織とか、目の前の人間とかいうスケールの話ではない。所属組織が社会に何をするのか、目の前の人が社会に何をするのか、ということを考える。きっと大富豪が寄付をするときはこういうことを考えるんだろうなと思う。

でも、最後にひとつ。そういうことをあまり考えさせないで取引ができるメルカリはすごい。

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