春の始まりは恋の終わり

追記: 2019年4月14日

約2ヶ月経ったので予定通り一般公開します。有料版で読んでくださった方は6人もいました。文量も少ないですし、まえがきにあれほど「買うな」と書いた割には売れたなというのが正直な感想です。購入頂いた方、本当にありがとうございます。

大きな額ではありませんが、得られたお金はわたしの独断で Homebrew という OSS への寄付にあてることにします。少なくともわたしがコンビニでお菓子を買うよりは有益でしょう。

<追記>正確には Software Freedom Conservancy という団体に対して寄付をしました。この Homebrew プロジェクトはこの団体のメンバーなのでそのようにしました。

<追記終わり>

さて、以下が本文です。

--

この記事が有料な理由と無料公開時期について

わたしは文章に値をつけるのが好きではない、というか原則しないという方針でやっていたし今もやっているつもりだ。しかしこの note には 300 円という値段がついている。

簡単に言うと、まだあまり知られたくないことを書いている。なので(拡散されるかは記事を公開するまでわからないので)安全側に倒して有料とした。少なくとも、無料よりは広まらないだろう。かといって、知り合いに読まれる分には構わないので、1万円とかいう値付けをして実質非公開みたいなことをやるのは避けようと思いこの価格になっている。

なお、この記事は二か月後には無料で公開される。なので、買わなくとも二か月待てば読める。それに同意したうえでお金を払うかどうかは自身の判断でしていただきたい。

内容については金額に見合った内容かどうかは保証できない。わたしはいつも通り書きたいことを書きたいように書いているだけだ。しかもそのうち無料で公開される。わたしはあまりnoteに記事を公開していないから、もしわたしのことをよく知らないのであれば、買わないことを推奨する。無用な金銭トラブルは避けたいというのが率直なところだ。

はじめに

現代人には理性と感情がある。基本的に人は理性でものを考えなんらかの損得勘定をし、合理的な行動をとろうとする。お金を節約しようとか、この道を歩くより別の道を歩いたほうが目的地に早くつけるとか。

そうした合理性を一切排除することになっても人を突き動かせるものを、わたしは "恋" 以外に知らない。だから、わたしがなぜこの数年、非合理的な活動を取り続けてきたのかを説明しようとすると、"恋" をしていた以外の表現が見つからないのだ。そしてなぜその行動をとるのをやめるのかと問われれば、"恋" が終わったからだろう。

"恋" の始まり

2年と少し前のこと。わたしは "失恋" をしていた。今まで価値を感じていたものに一切の価値が感じられなくなった。気に入らないなら去るべきは自分だと考えたわたしは、理由をほとんどの人には言わず去った。

しばらく充電していると出会いがあった。そうして僕たちは付き合うことになった。というと本当に恋愛の話みたいだけど、違う。労働契約を結んだという意味だ。わたしが "恋" をしたのは、スタートアップとかベンチャー企業とか呼ばれるものだった。

自分で言うのもなんだが、わたしは結構精力的に働いていたと思う。とにかくダメな会社だった。だからまじめに働いた。休日出勤とか全力で残業とかそんなことはほとんどしなかったが、いつの間にか自分じゃないとできない仕事が増えていた。しかし不本意だったことは言い添えておく。ITエンジニアの仕事のひとつは、自分がいなくても業務を回すことだ。自分がいなければ仕事が回らないなど職務放棄に等しい。

最初で最後の分岐点

今もあんまり変わっていないが、あの頃はもっとダメな会社だった。恋愛の比喩を使うなら、ダメな人を好いてしまう性がわたしにもあるのかもしれない。

しかしそんな状態が長続きするはずもなく、わたしは 1 年ほど働いて、疲れ果て、怒り狂っていた。どれくらい怒り狂っていたかというと、わたしは怒り駆動だけで転職活動をして内定をひとつ勝ち取り、8,000字の退職エントリ(未公開)を書いた。わたしが問題だと感じたものを洗いざらい書きつけ、それを役員に言ってさっさと辞めようと思った。

だけどあそこまで感情的になれたというのは、きっとまだ "恋" が持続していたのだと思う。実際、とある人と話して怒りがすっと冷めた。それまでしてきたことは全部怒りだけが支えていたから、怒りがなくなった瞬間わたしは去る理由がなくなってしまい、得た内定は辞退してそのままその会社に残ることにした。転勤にはなったけど。

"恋" の終わり

去年の9月ごろの話だ。急に眠れなくなった。理由は全くわからなかった。とにかく毎日寝られない、起きるのがしんどい。苦しい。自分が何に悩んでいるのかさえわからなかった。

いま思うとこれが "恋" の終わりの始まりだった。

自分がやっていることに価値を感じられなくなった。そう、2年と少し前に "失恋" していた頃のように。

考えすぎて考えるのに疲れたから、何も考えずに転職活動をしてみた。何も考えずに面接に臨み、てきとうに複数社落ちればこの悩みなんてなくなるだろうと思っていた。きっと前と同じで何か大きな感情が邪魔しているだけで、僕の "恋" は持続しているはずだと。そもそも、面接を受けたいと思える会社に全然出会えなかったというのもある。

だけど、僕の気持ちがもとに戻ることはなかった。怒りもわかない、悲しくもない。ただただどうでもよくなっていた。わたしはもうこの会社の中の人でありたいと思わない。一言でいえば当事者意識の欠如だ。

明日つぶれたって、転職ダルいなと思うだけだと気づいた。そのとき、辞める覚悟をした。当事者意識なんてなくても仕事はできるが、当事者意識のないのに仕事を続ける理由はなかった。

次の "恋"

単なる従業員として働く場所を選ぶ気は最初からない。わたしはそもそも感情を伴わないと仕事をする気にならない。

極端な言い方をすれば、生きるために仕事をしている。ではなぜ生きたいのかというと、特に明確な理由はない。死にたくはない、程度のものだ。だから生きるため以外の理由が仕事に欲しい。それは例えば贅沢をするためのお金だと以前は思っていたけれど、どうも違ったようだ。どうやらわたしの場合は "恋" ... いや、強い感情のようだ。

仕事に対して強い想いを抱いているうちは、わたしは仕事ができる。想いがなくなったとき、それは引き際だ。冷めた気持ちを戻すのは容易ではない。

--

終わりに

非常にわかりづらいですが、この記事はいわゆる退職エントリでした。会社名も次何をするのかも今まで何をしたのかも書いていないし、タイトルから退職エントリであることさえわからない。そんな退職エントリを書いてみようかと思いました。特に理由はありません。

最終出社日は4月の予定です。もしあなたが有料のときに読まれているのであれば、これが有料にした理由です。わたしはまだ退職していません。引継ぎもこれから始めます。なのに退職エントリだけ出来上がってしまった。それだけです。

ちなみに現職の同僚からはめちゃくちゃ引きとめを食らっています。わたしは、わたしがいなくても成立する組織を作りたかったので、引きとめを受けるということは自分の仕事がまだまだだったのだなと反省するばかりです。

記事中の "失恋" は2年前に書いたこの記事です。

この "失恋" があったから、2年前に現職で働くという決断をしたこと、そしてそこに後悔は全くないことは指摘しておくべきでしょう。とにかく空っぽだった自分に、居場所とやることとお金をくださった。その点においてはとても感謝をしています。

だけど、今度こそ本当に終わり。さようなら。またどこかで。

サポートいただけた場合感謝をします。