「ひきつれ」解説
この作品は、キャプロア出版刊週刊キャプロア出版第11号「喪失と再生」編に収録されました。
この作品に出て来る女性には、モデルがいます。小中学校時代の同級生で、同じクラスになったことはないので、口も聞いたことはないのですが、彼女のお父さんが開いていた柔道場に、小学生時分に通っていたこともあり存在は知っていました。
伝聞ですが、彼女も実際に小さい頃に大火傷を負ったそうです。
客観的に見ても、体格も大柄で太っていました。
今思うと、彼女のお父さんも男前で、お母さんもいわゆる美人だったので、ストレスもあったのかなと想像します。
当時、外見のこともあり、陰口や嫌がらせなどのイジメも頻繁に受けていたようで、仲の良い友達だけと付き合って、周りとは壁を作っていたように感じていました。
ぼくは、周りから見ているだけでした。今思えばなにかできたのかなと思います。
さて、目が見えないことは不幸でしょうか。
ぼくはなんとなくそうとも思えない気がしています。
目が見えるがゆえに惑わされて、本質が見えなくなってしまうことが、ぼくにはあるように感じています。
目が見えなかったり、耳が聞こえなかったり、動けなかったり。
いわゆる健常者が暮らしやすい世の中なので、不便を感じることは多いのかもしれません。
しかし、少なくとも無意味な情報で気持ちを左右されることは多くはないのだろうと想像します。
幸せを数値化できるとしたら、案外、ぼくたちのほうが、幸せを感じていないのかもしれないなと思うのです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?