見出し画像

アエロフロート航空

1991年の冬に、ヨーロッパへひとりで旅行した事があったのですが、お金に余裕がなかったので、飛行機代をなるべく安くしようとして、ロシアの「アエロフロート航空」のチケットを購入しました。

現在アエロフロート航空は、「ボーイング」や「エアバス」の名の通った航空機メーカーの機体をたくさん使用していて、比較的安全な航空会社ですが、私が乗った当時は、まだロシアが「ソビエト社会主義共和国連邦」の時だったので「ツポレフ」という名前のロシアの国産の航空機を使っていて、世界で最も墜落事故を起こしている(過去に100回以上も墜落事故を起こしている)評判の悪い航空会社でした。

成田から乗った機体は、ジャンボ機とは異なり細長く頼りない感じで、座席のシートはまるで町の中を走っている路線バスのイスのようでした。

前のシートに座った、日本人の夫婦と思われるカップルの奥さんがダンナさんに「ねぇ、本当にこれでヨーロッパまで行くの?」って真面目に尋ねていたんですが、正直私も心の中でそう思いました。

ビジネスクラスには、それなりのルックスのスチュワーデスさんがいたのですが、私の座ったエコノミークラスを担当するスチュワーデスさんは、「スッチー」と決して名のってはいけないような樽みたいな体格のおばさまでした。

途中機内食が2回あり、アルミの皿に何かよくわからない謎の食べ物がいくつかのっていたのと肉がコゲコゲだった印象しかありません。

行き先はフランスのパリだったんですが、モスクワのシェレメーチエヴォ国際空港にトランジットで数時間飛行機を降りて待たされたんですよ。

シェレメーチエヴォ国際空港空港に着いたのは夜で、2月だったので、気温がー15℃で外は吹雪いていました。

空港は全体的に照明がとても暗く、免税店も品数が少なく、活気のないさびしい雰囲気で、いかにも社会主義の国だなという感じでしたね。

空港内のお店で何か食べようかなと思って、カレーライスの値段を見てみると、日本円で1,300円くらいしたので、「げっ、高え!」と思い、結局何も食べなかったのを覚えています。

帰りの飛行機では、自分のチケットに記載されている座席番号の席にロシア人らしき人が座っていたので、交替してもらおうとしたのですが、周りの人から「自由席ですよ」と言われて、その時は、そんな訳ないだろうと思っていたのですが、後で調べてみると、本当に当時は自由席だったらしいんですよ。

飛行機のシートが自由席って、冗談みたいな話ですが、いろいろとカルチャーショックを受けて、今考えてみるとなかなか面白い体験でしたね。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?