人生の重荷リリース⑥:母が宗教に入って生きづらくなった子供の話

~ 中3で抜けても、消えない名残 ~

この記事を書き始めて、YouTubeなどでも同じような境遇の方をお見かけするようになりました。色々と違いがあり、私は割とマイルドな方なのかも…もっとHARDな人生を送ってこられた方も結構いらっしゃるのかなと。

この記事の要旨

私は中学の頃に離脱したので、高校生以降は普通の「この世の人」の暮らしをしています。ですが、エホバの証人の子供として育った時代の名残はあちこちに存在しています。自分が気づいていないものも多々あると思うけれど、自覚している「名残」を書いてみようと思います。

1.お参りが下手

仏壇や神社仏閣で手を合わせるのが苦手。お作法をちゃんと知らない(見よう見まね)のもありますが、そのアクション(祈る、お参りする)に身が入らない。「偶像崇拝」に価値を置いていないのかもしれません。アクションはするけれども、そういう場で心から祈ることはありません。

2.あけましておめでとうございますが苦手

母に言うなと言われていたので(新年はめでたくない?という解釈?理由は不明)、正月に祖父母の家に行った際も、相手は「明けましておめでとうございます。」と言ってくれるのに「こんにちは」と挨拶していました。

抜けた高校以降は「明けましておめでとうございます」は禁止事項ではなくなりました。私は大学卒業後、企業に就職しましたが、もちろん職場では言っていました。オフィシャルな場では全く抵抗なく言うことができます。でも、私生活になじみがないのでしょうね。ピアノのレッスンとか友人とか、対面でご挨拶するときに言いにくいなぁと感じます。できれば言わずに先に進めたい。年賀状などに書くことには抵抗がないのですけどもね。

3.献血したことない

もし、オペ等で必要な状況になれば輸血を受けます。でも、献血はしたことがありません。献血をしないことは問題行為ではありませんが、あえて近寄りたくないという思いの存在を自分の中に感じます。エホバの証人のことを思い出す「輸血」「献血」から距離をおきたいのだと思います。

4.「エホバ」という言葉に抵抗大

こうして文字に書いてますが、書くのにも体力と気力を消耗しています。ましてや口に出すなんて、ちょっと今でも無理目です。何にたとえるのが一番伝わりやすいかしら・・・とても苦手な虫とか、苦手・怖い存在のこと、言葉にするのをためらう感覚ってありませんか?重みは全然違いますが、とある虫(?)のことを「ゴキちゃん」とか「G」と隠語のようにして語ることってありますでしょう。そんな感覚に近いかもしれません。

他の2世さんは、親だけでなくご自分も信仰心をお持ちだった方も多いようなのですが、私自身は信仰していなかったと思います。親は信仰していましたけども。聖書によると、神はすぐ怒るし、ヨブの話なども「ひどい人(神)だなぁ」と感じて(全知全能の神なら、人を試す必要などないのでは)、どうにも好きになれませんでした。禁止事項の多さも気に入らなかったところです。

5.選挙に無関心

エホバの証人は人を選んではいけない(選ぶのは神の役目?)とかなんとかで(理由はよく理解しておらず)、選挙も禁止なのです。学級会、生徒会などの投票は「よいエホバの証人の子」は不参加です。私は信仰の薄いステルスJW2だったので、「白紙で投票する」か「ちゃっかり投票する」のどちらかで対応していました。その名残か、投票に対してあまり身が入りません。市長選とか諸々の選挙の投票にも何度か行きましたが、「何が何でも行かなくては」という気持ちにはなりません。政治にあまり希望を抱かないところは、子供時代の名残かなと薄々感じております。神の王国も信じていないけれど、人間の統治に対しても冷めた態度です。

6.伝道を受けると心が固まる

離脱して、もう何十年もたちますが、10年に2回くらい、信者さんと接することがあります。愛犬と散歩中に公園のベンチで休憩していると、とても優しそうな初老の夫婦に声をかけられてね。犬がらみで少し会話をした後に、渡されちゃったんです。目ざめよの3つ折りチラシを!受け取った瞬間(あえて拒否できない)、「し、失礼しますっ!」て足早にその場から逃げ帰りましたが、「へ~3つ折りになってるんだ~(布教ツールの新形態)」という新商品を発見したときのような感覚と、「ピキッ!」と一瞬心が固まるような感覚と。いとしさとせつなさと心強さとには及びませんが、その出来事で1週間分の心のエネルギーを使い果たしたような気がしました。


他にも諸々とありますが、今思いつく主だったものは以上です。「後遺症」と言えるのかもしれませんね。



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