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作為のない毎日

最近、この表現が思いつかなくてモヤモヤしていたのですが、そうそう、これでした。
「作為的」

何か行動を起こすときに、何か(世間や常識やセールストーク)に惑わされ、駆り立てられて他力で動くことを「もうやめよう」と思っていたのですが、一言で何と言うんだったっけ・・・とボケていた私。

はい、「作為的」なものをやめたかったんですね。


自分がやろうと思うことは、他人の目やタイミングなど関係なく「自然に」起こすことができる。

一人読書会も文字通り一人で誰にも見られず続けているけれど、何の苦痛もない。

もし作為的にやっているのならば、再生回数、読者数、登録者数10万人・・・などの達成すべき目標があってそれとの乖離に焦ったり悩んだりするのだろう。

作為的でない → 悩みがない 

ということは、悩みがある = 作為的  ということか。


といいつつ、「私がいない」のであれば、作為しているのは誰なのか。




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