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結婚しました

先日、結納と入籍をした。


私たちは一緒に暮らしていない。
だからまだ戸籍上夫婦になり、買った結婚指輪をつけているというだけかもしれない。
結婚式の準備でたくさんけんかをして、ストレスから風邪をこじらせたこともある笑
それでもよかったことや学んだこともある。


ひとつめはあらためて小さなころの自分の写真をみたときのこと。
むかしは不細工だな〜と思っていた写真さえもなぜか可愛くみえた。

本当に不思議なくらいに可愛くみえた。
赤ちゃんや幼稚園のとき無邪気に笑っている写真たち。
思春期には歯並びがわるい、目が小さいとかそんなことを気にしていた。
だけど今は気にならない。
今やっと「可愛い」は造形ではなくて楽しそうな表情とこころから人生を楽しもうとするパワーなんだときづいた。
おばあちゃんになっても透明感があって目を惹くほど可愛い人がいるのは、だからだと思う。


そしてふたつめはアルバムの若すぎる祖父母の写真をみたときのこと。
これ以上ないくらい、「老いと死」というのをはっきりと感じた。
亡くなった祖母の笑顔には胸が締め付けられたし、今は入院するほど体調がわるい祖父がふっくらして若々しかったすがたはなつかしくてさみしかった。
いやだった過去、自分だけでは変えられないこと、理不尽な他人。
もうそういうものにひきずられる暇は自分にないんだということ。
かぎられた時間と人生だからこそ、できるだけ人は自分に誠実に生きるべきだということ。


みっつめは夫の実家で夫のムービーの写真を選んでいたときのこと。
夫の家族と写真をみながら、思い出を聞いた。
今の夫とそっくりの表情の写真もあれば、子供らしいポーズをとったり、泣いている写真もあった。
家族とのだんらんの写真はみているだけで幸せな気持ちになった。
夫の赤ちゃん時代の写真をみていて、最近不妊治療をしていた友人がめでたく妊娠してお祝いしたときのことが頭に浮かんだ。
「これから壁がたくさんあるし、まだ安心できない」といっていた友人。
1人の人が生を受け、生まれ、育ち、生きることは数えきれない奇跡の積み重ねだ。
なにも当たり前なことはないのにうまくいっているときほどそれを忘れてしまう。
毎日なにかしらの奇跡が起きている。
幸せはつつがない暮らし。
それをあらためて感じた。

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