かわってるねを褒め言葉にするのは自分自身
かわってる、という言葉は日本では仲間はずれで異質なものという印象をあたえる。
いい意味で面白いというふうに使われることもある。
けれど、たいていの人はそういわれていい気分はしないだろう。
英語で同義のuniqueは「ただひとつの、ほかに存在しない、唯一無二の個性的なもの」というニュアンスでいわれる。
これは辞書から調べたことだ。
かわっていることは、それ自体はずかしいことやこころぼそいことではない。
いい意味でかわっている人になれたらそれこそ輝いていて幸せなことだと思う。
経営者や芸能人のようなわかりやすい成功者も、まわりの幸せな人もみんなかわっている。
マイペースで自分のやりたいようにまわりを巻き込んで生きている。
そういう人たちはかわっていて当たり前だ。
彼らにはプラスの面がたくさんあり、そこにしかみんな注目しないから、わざわざかわっているねという人がいないだけだ。
みんなユニークである。
先日友人とあったときのこと。
友人はとにかくモテモテで今も5人の男性からデートや食事に誘われ、とても大切にされていた。
仕事が大好きで土日も夜も分刻みで働き、自分なりの哲学をもっている。
出会いの場に行かなくても上司がいい出会いを提供してくれるという。
「この前私の悪口をいっていた人たちがいるときいた」といっていた。
悪口の内容はきっとぶりっことか真面目すぎとかだろうね、と私は返した。
彼女は仕事の愚痴や人の悪口をいわない。
みんながくだをまく飲み会でさえそうだ。
それは、一般的な人からしたらかわっている。
ただ彼女のオンリーワンの価値がわかる人にはとても評価されている。
「愚痴にも悪口にもなんの生産性もない」
ときっぱりいう彼女は輝いていて、きっと素敵なことをさらに引き寄せていくんだろうなと感じた。
かわっているというのはあくまで相対的な評価にすぎない。
そしてそれは、幸せのビジョンや生きる目標がある人にとっては最高の褒め言葉だ。
と今私は思う。
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