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ゆるせたぶんだけ楽になる

こんなにたくさんの生きかたや幸せのかたちがある今。


私はいまだに「子供を産む」ということが、ものすごく高尚で特別な女性らしさの象徴のように思っているふしがあった。


私は過去にも今も妊娠したことはない。
ただまわりにはこどもを産んだ友人も多い。
毎日のように写真をもらったり、話を聞いたり。
みんな子育てをとても楽しみ、人生最大の幸福といっている。
みせてもらう写真には可愛らしい笑顔があり、100の言葉よりも1枚のこどもとの写真に母としての喜びや努力や幸せがつまっているように感じる。
私もみていると無条件に癒された。


しかし同時に、私に自信がない最大の理由は「自分がこどもを産めるかわからないこと」だった。
このことは願いや努力だけでどうにかなることではない。
不妊治療する人は出口のないトンネルを歩くようだともいう。


私は授かることをいつしか自分の幸せとイコールのように考えていた。
妊娠は0か100かのタイムリミットのある運ゲーのような試験、というイメージだった。
それが余裕のなさにつながり人に優しくなれない自分にもうんざりした。


「むりだったらできなくてもいい。そのために結婚するわけじゃない」とパートナーにいわれたときに問題は私のなかにあると思った。
もっと自分に寄り添ってあげたいと思った。 


きっと、なにかに苦しむ人は自分をゆるせていない人だ。


いつかできたとしてもできなかったとしても、どちらでもいい。
自分がしらない幸せや人がもっている豊かさは輝いてみえる。
でももしそれがなくても、私が積み重ねてきた幸せはうばわれない。
私の人や女性としての価値にも関係ない。
いつもどんなときも大切だ。


自分にそういいきかせたとき。
自分をゆるせるほど人はもっと幸せに楽になれるんだ、と感じた。

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