最近おもったこと

更新ができず、久しぶりの投稿になる。
心が晴れなくてきづいたら時間がたっていた。


きっかけはある日のLINEだった。
学生時代からの友人グループのメンバーが7人くらいいるなかで、妊娠出産を経験していないのは私だけだった。
〇〇ちゃんと△△ちゃんの子供が同級生で、〇〇ちゃんの2人目の名前の由来はこうで、産院はここで、とかここ数年のあいだいろいろ聞いていた。


ある日「出産に備えて必要なものあったらオススメ教えてー」とひとりの子が送ると、みんな一斉に返信をしていてすぐに未読が10近くなっていた。
あけなくてもキラキラして盛り上がっているのがわかる絵文字が目に飛び込んできた。
その上下には淡々と仕事のLINEが届いていた。
職場でも休憩中にはみんなお子さんの話をする。
いつも話はつきない。


ふと、この気持ちはなんだろうと自分がわからなくなっていた。
友人の妊娠も出産も嬉しい。
まわりの子育ても幸せなことだ。
ただ、私はその喜びを本当の意味で共有することはできないのだということをしみじみ感じた。


自然で授からず、検査でAMHの値が低いと言われ、早く治療した方がいいといわれたけれど仕事が忙しいし私よりさらに忙しい夫はまったく協力的ではなかった。
治療したい気持ちや焦る気持ちだけが募っても前に進むことができなかった。
クリニックを予約した日には前日は接待の飲み会で二日酔いだから無理と断られた。

仲が良かった友人たちと距離をとろうと自分の身を守るように連絡をとらなくなった自分がいた。
ほかにも仲良くしていた子たちもみんな気付けばママである。
一緒にいたら子育ての大変さや幸せのエピソードを自然と聞く側になる。
かわいいし嬉しい。けれどなんとなく会った後につらくなる。
そう思う自分の性根がものすごくわるいように思えて嫌になった。


どうしてこんなに子供にこだわっているのだろう。
そこから離れたかった。
自分がこだわる理由を掘り下げるといくつかのことにたどりついた。
それはあたたかい家庭を持つことが1番の夢だったからで、女性としての自信をもちたかったからで、仲良い友人たちといつまでも似たような環境で幸せを共有したいという気持ちがあったからなのだときづいた。


なんだかもやもやしている今の自分の中にいるのは地団駄をふんでいる小さい子のように思えて、そのときに小学生のときのエピソードを思い出した。


私の地元に有名な進学校の中学校がある。
そこには逆上がりふくめた運動の入学試験があった。
「心技体がととのった子をとりたい」という意図だったのだろうが、私は何回やってもうまく逆上がりができなかった。
いっぽうまわりの友人たちはほとんどできていた。
そこにいけば幸せな未来が待っているとみんな信じていたし、私も信じていた。
私は何回やってもできなかったので結局受験はしなかった。


みんなができていることが私もしたい。
幸せな未来が待っているところにいきたい。
そんな小さなころの自分の気持ちを思い出したとき、今の私の気持ちもすこしだけそれと似ている気がした。
もちろん妊娠出産子育てからはじまるたくさんの愛、生活や責任などはそれとはまったく違う。
ただ今の私のもやもやの本質については似ていると思った。


結局とりとめのない記事になってしまって、テーマもよくわからなくなってしまった。
ただ、ここ数ヶ月、数年、へたしたらもっと若いころから積み重ねてきたことに今真っ向から向き合っているような気がしている。


生きていて自分がよくわからなくなったとき、
たちどまって人と距離を置いて自分に向き合う時間も必要なんだと思う。


私の人生は私のもの。
人の人生は人のもの。
みんな自分の人生を生きている。
なにかにこだわりすぎず、できるだけ自分の好きに素直に、身軽に生きていきたいとあらためて思った。

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