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ひまわりにはなれなくても

私にはコンプレックスがあった。
明るくないこと、華やかじゃないこと、キラキラしていないこと。


私はネアカではない。
なにかいやなことがあったときも、「あいつウザい〜!」とあっけらかんと口にできる素直で強いキャラではない。
なにごとにも時間がかかるし不器用だ。

そんな私と対照的に、いつもテキパキしていて太陽みたいに明るい子がいる。
愛されキャラでよく飲みに行き、楽しそうにみえる。
バイタリティにあふれている。


冷静になった今、私は彼女がずっとうらやましかったんだろうなぁと感じる。
彼女は私にはないものをもっていて、いつも幸せにみえたのだ。


その子はたくさん努力も苦労もしている。
休みを楽しむために業務中は全力だ。
そして忖度なく素直に生きる勇気がある。


うらやましいと思う人のさらなる幸せを喜ぶことは、すくなくとも器が小さかった昔の私にはできなかった。
すでに幸せな人がもっと幸せになったら、自分がとりのこされるような気がしていた。


しかし最近とくに「幸せの本質は人それぞれ」だと思うようになった。
なによりも自分らしく幸せになることが大切だと感じるようになった。


そして「私は私なりに幸せならそれで充分だ」と思ったのだ。
ひまわりのような人にはなれなくても、私は私らしくいられたらそれでいい。


自分を不幸だとおもっているうちは、わかりやすい幸せを求めていたから苦しかった。
でも誰かのように注目をあびなくても、人にもてはやされなくても、目立たなくてもいい。


「仕事が丁寧」
「電話するとほっとする」
「いてくれてありがとう」
そういってくれる先輩や友人や家族からの言葉にきっと私らしさもあるのだと思った。


みんながその人らしく幸せになれるといいなぁと思う。

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