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あらためて学んだこと

むかしはかっこいいとか、尊敬できるとか、いいなぁと憧れる純粋な気持ちから異性を好きになった。


いまになると、それは相手に憧れていた父のすがたを重ねていたのだとわかる。


私は父と14歳のときにわかれてからは15年間いっさい会っていなかった。
当時の父はとにかく偉大で、遠くて、自分に見向きもしてくれない人だった。
自分では父をとくに好きだという自覚はなかった。
むしろこわくて嫌いだった。 


かつての父は私が憧れるものをもっていた。
ゆたかな人脈、社会的な地位、女性関係、若々しさ、いろんな人から必要とされる立場にいること、そして自由に使えるお金。


だから私は自由な父がうらやましかった。
いっぽうで優しいのにどちらかというと内向的な母をみては複雑なきもちになった。


父にとらわれていたあいだ、私は男性に尊敬できることやかっこよさ、ひときわ目立つ華やかさのようなものを求めていた。
そのころの恋愛はうまくいかなかった。
自分でも表面上だけの関係につかれていた。
「私はもしかして父のかわりを探していただけだったのかもしれない」ときづいたのは2年くらい前のことだった。


それから数年がたって。
いつしか、いまの私はすでに父と同じものをもっていることにきづいた。
「私はもうひとりの人として自立している」
私には私の立ち位置がある。
すでにこころもからだも自立していろんなものをもっている。


そのことを私は意識してはじめてはっきりきづいた。
それから日に日に異性への憧れの感情はすーっと消えていった。
私はもう尊敬や憧れから人を好きになることはなかった。
この世界には完璧な人も、絶対的な人もいない。
こと人づきあいでは私が自分らしくいられるかどうかが1番大切なことだときづいたのだ。

尊敬できる人はたくさんいる。
でも尊敬や憧れはスパイスみたいなもので、あってもなくてもよかった。


しかし私が生きていく上で一緒にいてこころがおだやかになるひと、自分らしくあれるひとはそういなかった。


私の父や知り合いの女性も60歳、70歳をすぎてから伴侶をみつけた。
みんなより自分らしくいられる人、より自分が楽でいられる人を選んでいた。


私たちはきっと時間をかけて自分を知る。
そしてより自分らしく生きるために、人とつながるのである。
自分をもっと大切にできるように人とつながるのである。


だから自分をすりへらす関係は、すこしずつ手放していっていいと思う。
それは自立で自由で幸せにむかう道だと思う。
その先でまたいろんな出会いがあるのだ。


だから私はこれから先も、ともに生きる仲間や場所は自分らしく生きられるかどうかで選んでいきたい。

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