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幸せを感じるということ

日々幸せを感じて生きるとしたら、どこにフォーカスすべきなのかあらためて考えてみた。


「私が私でよかった」と思える瞬間ほど幸せを感じられるときはない。
自分にしか感じられない幸せは本当に大切だ。


友達と大いに話が盛り上がって笑いあったとき、つかれて帰って自炊して自分がたべたいものを美味しくたべたとき、自分がすきな服をきてきれいに晴れた日にでかけられたとき、人に優しくしてもらったとき。
ふと思いつくのはそんなときだ。


友達とは環境がかわってすれちがったこともある。
長い悩みを一方的に聞いてつかれた〜と思ったこともある。
ゆっくりご飯がたべられなくてバランスなんて考えられなかったこともある。
雨の中服も靴もからだも濡れながら仕事にいくのがめんどくさかった日もある。
人に冷たくされたときもある。
ぜんぶ過去にあったことだ。


ふとふりかえったとき「私が幸せに感じるのはつらかったときの私とくらべて今が幸せだと思うときかもしれない」ということだった。


人とくらべてどうだ、ということではなく。
自分の歴史のなかでおだやかさ、安らぎ、幸福感、充実感を感じることが幸せなのかなぁと思う。
幸せは主観的なものだからこそそう思う。


生きていれば雨の日も晴れの日もある。
できるだけ晴れの日がおおいほうがいいし、努力はする。
自分のちからではどうしようもないこともたまにはある。
それでもせっせと幸せの種を蒔いて育てて水をやり、芽がでるかを待ちながらまた同じ日々をくりかえす。


誰のためでもなく自分のためにこつこつ幸せをふやすこと。
生きるってそんなイメージなのかなぁといま思う。

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