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自分で限界決めてラクしようとしている人間は、それ以上のパフォーマンスを発揮することは絶対に不可能。できるのにやらない、それによって生じた問題の責任は、やはり「やらなかった本人」に取らせるべきだ。

 安いプライドばかり振りかざす割には、「如何にラクをしようか」と、面倒なことから逃げるような考え方をする人間には、大義を成すことは絶対に不可能なばかりか、場合によっては「他者に迷惑をかけること」しかしなくなる。おまけに、その自覚がない人間は、人の恨みを買うことになる。

 自分が挑戦して失敗することは懼れるくせに、他の誰かが挑戦して失敗したら笑い、成功した人間さえもバカにする。他者に対する嫉妬心から出る言葉は、実に醜い。自己顕示欲の強い人ほど、事ある毎に口が止まらない。自分が如何に出来る人間かを口先でしか言うことができない人ほど、実際にやって見せようとはしないものなのだ。

 面倒事を避け、誰かに押し付けようとする人間ほど、「考えること」を放棄するし、責任を免れようとする。すると同時に、面倒事を押し付けられた人に責任を擦り付けることにもなるわけだが、そのことに微塵の罪悪感も抱くことがない。ゲスの極みだね。そんな人間に、計画を立てたり、段取りを組んだりできるわけがない。できないならできないとハッキリ言えばいいのに、言えないよね、安いプライドが邪魔して(笑)

 じゃあさ、「できるのにやらない人間」は何なの?って話になるよね。ボクには理解できないなー。やってもやらなくても毎月の給料は増えることがないからやらないの?それがまかり通るのであれば、端からそんなルールや取り組みは無くしてしまえばいい。無くそうという意見をすることなく、はたまた新たにアイデアを提言することもせず、ただめんどくさそうにチンタラやって適当に済ます?時間の無駄じゃんね(笑)何一つ生産性のない時間でしかない。

 そういう人間は無駄だ無駄だと裏では言ってるんだよ?わかってるのになんで言わないの?何のための会議なの?でー、キミたち、正社員でしょ?あ、あぁー!そうか、言ったら言ったで批判されたり嫌われたりするから?だから言わないの?だったら正社員から非正規雇用に変更しろよ(笑)え?なになに??言わないのは自分だけじゃなくて他の人間たちも一緒だと?!ほー、全く関係ないねー、自分と他人は。結局どう判断するかは自分でしょーよ(笑)

 言わない人間、やらない人間、こういう人間は失敗することも批判されることもないだろうよ。当たり障りなく、穏便に、オブラートに、そして曖昧に人と接して「うまいこと?」やり過ごそうとしている。ボクはね、こういう人間たちの脳内がわかってしまうんだよね。臆病者の集まり。んでもって、普段の会話のレベルが低い。物事に対するアクションのハードルを自分たちで低く設定して、それを満たせば「頑張っている」「評価されるべきだ」と、こういうことを言うわけだ。まるっきり宗教だなーって思うんだよね(笑)

 組織的にこういうふうに仕向けている、従業員たちが操られている、と考えると、彼らが何一つ物言いをしないことも辻褄が合ってくるんだよね。わざわざリスクを取ってまで意見しなくても、周りに合わせてさえいれば自分の身は保たれる。保身の気持ち。職場の上層部の人間たちは従業員たちの保身の気持ちが如何ほどかを良くわかっているのかもしれないね?少なくとも、ボクが今働いている職場では、個人的にそういう見解を持っている。

 おまけに、衆議院解散後の選挙が始まると、なんでも、正社員は誰に投票するかを前もって指定されていて、投票済みの証明を提出させられているんだが、これって公職選挙法違反だよね?(笑)毎度決まって「公明党」所属の議員。創価学会と関係ズブズブの公明党の議員へ投票しなさい、的なやーつ。完全に組織ぐるみで意図した投票をさせている。これもアレか?どこの企業でもやってることだと言うわけ?そらービックリだー(笑)ボクは知らんよ(笑)放置放置(笑)おそらくこれは、会社のパンドラの箱なんだろうから、わざわざボクが開けることもない(笑)メディアにリークしたってドス黒い権力を持った組織が圧力をかけてくるに決まってる。くわばらくわばら・・・。

 真正面から立ち向かうべき問題を間違えるなよってこと。失敗しても取り返しが付かないレベルの問題に立ち向かおうとするのは向こう見ずな愚行。でも、そうでない以上は、きっちりと問題に向き合って解決しようと努力すべきじゃないかなーってボクは思うんだ。慣れって本当に怖いね。彼らは物事の本質を無視するのが当たり前になっているものだから、公職選挙法違反に加担していることさえも忘れてしまっている。自覚があるならもっと重大な問題じゃないかね?きっとさ、尋問されたら否定するんだろうけどね、選挙に行くも行かないも本人の自由だ、と。有権者が誰に投票するかは、当然有権者本人の自由なわけだが、職場では完全に公明党の議員を指定している。

 元より、企業と宗教法人は昔からズブズブだったり、政治と宗教法人もズブズブだったりする。結構なレベルでイカレた社会だと思うんだが(笑)操られた人生で終わるか、自分の判断で切り拓いていく人生で終わるか、どっちがいいかねー?きっと、誰もが後者の人生を歩みたいと思っているに違いないのかもしれないけれど、集団組織に属すということがどういうことかを勘違いしている人間にとっては、保身の気持ちから前者の人生を歩もうとするのかもしれないね?残念だ、周りにそういう人間が多いということは。そんな中で物言いをすれば、イヤでも目立つ。批判もされる。バカにもされる。でもね、「だが、それがいい!」とボクは思う。前田慶次風に言うとね?

やる気がなくて、文句や愚痴ばっか垂れてる人間の話に付き合わされることを心底嫌うべきだと思うぞ、ボクはね。それが50代60代のじぃーさんばぁーさん社員だとしたら、シガラミ(柵)だらけだからね、そういう会話が尽きることがない。しーがーらーみー。その中にボクまで引きずり込もうとする。迷惑千万だぜ?年配者を尊敬しろと言うのであれば、尊敬させるように振舞え。ジジイだからとか、ババアだからとか、たったそれだけの理由で尊敬されようとしてるのであれば、簡単にヘソで茶が沸くぜ?

 ボクはね、自分がジジイになったとしても、口先で尊敬されようとはしない。そんなジジイにはなりたくないからね。言っちゃ悪いが、ボクに柵はない。ただの一人も、柵と言えるような人間との関わりはない。両親姉兄でさえ疎遠状態だからね。会うことさえままならない、そんな状況だ。いつしか言葉一つすら交わさなくなった。これのどこが家族だ?と、ボクが彼らから思われているだろうけれど、こればかりは末っ子の特権だ。どうせ理解には至らないだろうと今は思っている。それぞれ、全く別の場所で全く違う人生を歩んでいるものだから、今置かれている状況を互いに理解し合えるとも思えないし、彼らも思っていないだろうからね、下手に接触するよりも、自分の人生を生きることのほうが重要。

 どこでどう生きるか、どこでどう働くか、それはいつも自分で決めてきた。下手な生き方ではあるけれども、これが意外と面白かったりするんだ。誰が引いたレールでもない、不思議な道を歩いているような気がする。だから、遠い先の未来の話をされて不安になることもない。まぁ、どうせ生きるなら、自分の意思で決断し、起こる全ての物事を楽しいと思えるようでありたいね。どうせいつか死ぬのであれば、「良い人生だった」と最期に思いたい。普段は誰もそんなこと考えてないんだろうけどな?

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