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立場とか肩書とか、そんなもんばかり気にしてると、保身のつもりが自滅の結果へと自身を導いてしまう。

上の人間が絶対なのか?

上の人間たちが正しいのか?

上の人間たちは完璧か?

下の人間たちはただ従っていればいいのか?

下の人間たちは指示待ち人間でいいのか?

下の人間たちは意見・提案をしてはいけないのか?

そもそも、目的ってちゃんと定まってるの?

 職場にいる「気に入らない人間」のことをブチブチ文句言ったり陰口叩いてる暇があるなら、「変えたいこと」について考えたほうが、人材の価値が上がると思うんだけどな。

 これを毎日、全従業員が、それぞれでやってみなよ。絶対に誰かがホームラン級のスーパーマインドを発揮する日がすぐにやってくる。

 そして、そういう人間が、次々に出てきてみなよ。勝手に闘争心やライバル心というのは組織の中にどんどん拡散していくんだよ。情熱は伝染するって言うけれども、これを鼻先で笑って、「理想論」「机上の空論」「キレイゴト」などと上から目線で見下すようなことしか言えない人間たちは、会社のことも職場のことも、大して真剣には考えちゃいないんだよ。

 そして、アグレッシブに意見・提案・指摘をする積極的な人間たちに対して僻みに類する思考しか働かなくなる。それがネガティブな人間たちのハードルの高さだ。どのくらいかって?地面から踝(くるぶし)の辺りまでの高さだ(笑)

 でも、それでも、組織体で見る場合、そういう「ネガティブな人間たちを巻き込んでいくだけの仕組みや熱量が組織本体にない」というのは、会社組織にも責任があるということが言える。

 仕事上で、人の失敗を責め立てたり、自分たちは悪くないと言ってみたり、それはうちらの責任じゃないとか言い張ってみたりすることは、0.1μmも生産性がない。1mmの1万分の1だ。肉眼じゃ見えないくらい、そういう思考や発言には生産性がない。

 つまりね、そういう種類の人間たちは、会社にとってもコストでしかない。それでいて、会社はそういう人間たちにも毎月給料を支払わなければならないってことだ。会社は国の方針に従って雇用の義務を果たしているのに、雇われている従業員たちが「安定を求めることを目的にしている」働き方しかしないと、ただただマイナスだけが山のように積み上がってしまう。

 これまで何年も安定の道を歩いてきた人たちにとっては、今現在も「これからも安定して働いていける」と思い込んでるんだなぁと見て取れる。ボクはこれまで働いてきた会社で「安定」というものを感じたことはなかった。一度もない。

 だって、いつ何が起こるかわからないのが社会だし、パラダイムシフトなんて一気に押し寄せてきて、人々の生活スタイルがあっという間に変わってしまっていることは、安定を感じさせる要素が一つもないことの証だと思えるからだ。

 今からでも、本気で会社再建、職場改善のために繋がるような思考を働かせて、建設的な議論ができる機会をどんどん作って、議論した結果、決まったことをスピーディーに実行していくことをしていけば、たぶん、とんでもない変化が到来したとしても、その先を見据えるだけの思考を手に入れられると思うんだよね。

 思考が行き届かないとか浅いとか感じる人は、自然と本に手が伸びるし、今の時代なら、ためになる動画をずっと観まくるだろうし、こうして文章化して自分の思考を言語化することの重要性にも気付けると思うんだよね。

 実際にボク自身がそうだ。昔、全く物事に興味関心がなかったのに、10年、15年と経つにつれ、社会が目まぐるしく変わっていく現実を目の当たりにして、情報の重要性に気付かされるし、過去の常識が如何に狂ったものだったかを思い知らされる。

 安定を求めているはずの従業員が、自分が勤めている会社のことや職場のこと、職場の人間たちのことを悪く言っている矛盾にはいつも首をかしげていた。言うだけでそれをイイ方向に変えていくための行動を1つでもしたのか?って言いたい。言うだけだったら誰でもできる。

 悪いけど、ボクは立場も肩書も一番下で、最弱のポジションに立っていながら、必要に応じて「文字力」で意見・提案し、変化は起こせたと思ってる。しかしそれも、受け取る側が如何に誠実であるかが前提でないと意味がないのだけれども、そこはもう運任せ。

 とにかく言えば?裏でグチグチ言ってたってなんも変わらん。言うんだったら、誰かのせいにしたり、誰かを見下したり、状況のせいにしたり、過去のせいにしたりするだけだったら、誰も聞く耳を持たなくなる。

 全体を俯瞰できるようになるといいね。全体を眺め、どこがおかしいのか、どこでズレたのか、物事の経緯から変化点を見つけ出し、本質とか前提を踏まえて現状を正すために、「自分はどんなアクションを起こすべきなのか」を真剣に考えればいい。

 そして、考えがハッキリしているのなら、会議なら会議で発言し、会議の機会がないのなら社内メールで関係者に発信したりして、どんどんアウトプットしていけばいい。そしたら一部の人間たちからは批判されることはあるだろうよ。これも大前提。どんな人が発言しても、誰が書いた本でも、見聞きした人たちが全員賛同するものではないからね。

 逆に、誰もが全員、自分のアウトプットに対して賛同するようだったら、そのアウトプットはクソの役にも立たない駄作的なアウトプットだと思ったほうが良い。反論者がいるから議論が深まるわけで、誰もが一人の意見に従うようだったら、そんなもんは近隣の独裁国家と同じ在り方でしかない。

 逆らうのと、意見・提案をするのとでは全く意味が違うのに、なぜか意見・提案した人間が批判されたり非難されたり、時には挨拶もされなくなったり避けられたりする。狂ってると思うけどね、こういう職場は。だけど、どこの会社でもあることだ。こうした悪しき風習をブッ壊すことができれば、一気に物事が動き出す。それをボクは思考の言語化でやってきた。

 変えないよ、このスタンスは。あくまでも、会社の理念や方針に則って文章化するから、結局誰も内容に対して反論はできないんだけれども、それでも批判・非難する人間たちというのは、僻みでしか言えない批判・非難しか言うことがなくなる。だって、そういうふうに文章作成してるから。すると、「アイツ何様?」「じゃあお前やれ」と吐き捨てる人間がいるけれども、0.1μmも考えようともしない、考えることを放棄してる人たちに言われたくはないんだよね。

 そのまま定年間で働けると思い込んでる人たちは、間違いなく、年配社員たちの悪影響をモロに受けている。これは断言できることだ。まぁ、少子高齢化の影響は否定できないけれども、自分の仕事人生を年配社員の働き方になぞらえてこの先ものうのうと生きていこうと考えること自体、完全にリスクでしかない。危機感も何もないよね、こういう人たちは。彼らが集まって会議を開いたところで、物事は結局後手後手に回り、次々と湧いてくる問題を処理しきれなくなっていく。

 派遣社員がしゃしゃり出るようなマネをすれば、「余計なこと言うな!」「スッコンでろ!!」と思いたくなる気持ちはわからんでもないけれども、とりあえず聞けば?って思うのはボクだけでしょーかぁー??とりあえず読めば?って思うのはボクだけでしょーかぁー??

 そんなこと言うてる場合か!!って、なんで誰も言わんのかいな~♬って思う。誰も言わないし、一向に変化しないから、考えまとめて発信するんだよね。嫌われることはボクにとってのリスクではないから(笑)怒られることもボクにとってのリスクではないから。性格の問題ってあると思うぞ??性格が悪いってだけで、気に入らないと思っている人間が言うことが一言も頭に入らんくなるからね。そこに対する社員教育って本当にやってんねやろか。疑問だね。

 ボクが発信する時は、圧倒的な思考の深さと視野の広さを文章化することで、具体的に現状を捉え、これから先どういうふうにしていけばいいかといった未来に関する意見・提案をする。アイデアに価値はないけれども、実行のヒントになることならどんどんアウトプットして、中にはボツになるアイデアもたくさんあるけれども、そのうち1つでも2つでもヒットすればいいくらいに思ってるからね。毎回ホームランを打つ必要はない。

 結果的に変化に結び付けばいいだけのことだからね。どんな変化であれ、これまでは不足がいっぱいであることが現状に至る要因であることは紛れもない事実。誰も否定しようがないネタを盛り込んで、未来に関する意見・提案をすると、「めっちゃ考えてんなー」ってなる。圧倒的だから。

 ただ文字数やページ数が多ければいいわけではない。当然、中身がどうであるかを見極めてもらいたいわけだけれども、理想論だけ書こうなんてボクはしない。ボクのダメな部分も知らないことも含めて、その上で、これまでどんなことを感じて、どんなふうにしていけばいいかについてどれだけ考えているかを全力で書くから、生意気なことを言っているレベルでは処理しきれない内容と量。つまり、質量ともに重要であることは意見・提案の前提だからね。

 たとえ話も盛り込む。今回提案しようとしていることは、120ページ10万文字近く。文庫本の小説の3分の1から半分くらいは書いてると思う。図解もいくつも入れてる。縦横軸の図解は説明するにはもってこいだからよく使う。

 負けないと思うけどね、その辺の人たちには。だけど、その辺の人たちと比べることは発信することの目的ではないからどうでもいい。変化にリンクさせるためのインターフェイス的な役割をどれだけ担えるかは、言われてやることじゃないじゃんね?自分で考えて、自分の意思で動いて、自分が動いたことで起こす変化が面白いって思うから、どんどんやるよ。怒られたら平謝りで済ます。居場所を取り上げられたら別のところでどんどんやる。

 1つの会社にしがみついて働くということ、ネットで検索すればいい。これからの時代にマッチした文献はいくらでも出てくる。

 誰が言ったんだよ。「全員同じことができるようにならなければならない。」って。日本の学校教育って本当に悪影響だよね(笑)得意なことを仕事で活かすことができるからやり甲斐が感じられるんじゃん。できるようになりたいことを出来るようになった上で、自分が手に入れたスキルや能力を仕事に活かすから楽しいって思えるわけじゃん。それで言ったらIT関連企業で働いている人たちはみんな自分の能力一本で生きてるんじゃないかなって思う。マジで羨ましい働き方してるよなーって思う。

 だけど、マイナーにはなりたくないな(笑)仮想通過を獲得するために誰よりも早く問題を解くみたいなことをやってるらしいけど、とんでもなく難しい計算を何時間、何十時間、何か月ってずっとやってるらしいんだよね。頭おかしくなるわって思うけれども、言い方を換えれば、それくらい突出した能力を持つ人たちは、そういう世界でも生きていけるってことだよね。

 でも、自分もマイナーにならなければならないわけではないし、今いる場所で自分にできることを最大限に取り組んで、少しでも精度の高い仕事をするってことを基本的な自分ルールにしてしまえば、周りの人たちがどうあれ関係ないわけじゃん。

 だから言ってるんだよ、檻から出ろって。過去を否定されて気分を悪くしない人はいないかもしれないけれども、現状とルール・標準・規則・活動がマッチしていないと感じるのであればそれらに対して声を挙げてアップデートしたり、辞めて新しいことを始めたりすればいい。そうやって自分のスキルや能力を活かせる環境に自分たちで変えていってしまえばいいだけじゃん。

 上司の悪口・陰口を言ってるだけの人間に、過去や感情を切り離すことは難しいのかもしれないけれども、本質的にそうやって言う時間が如何に無駄なことかに気付くことができれば、その先の思考回路はどんどん広がっていくと思う。

 あなたは、RPGゲームに例えると、主人公ですかぁー?主人公の付き人ですかぁー?それとも村人Aですかぁー?はたまたザコ敵ですかぁー?中ボスですかぁー?ラスボスですかぁー?って話。ゲームの中に出てくる全てのキャラクターのうち、誰に自分を置き換えるかで働き方は変わるし、普段関わっている人たちも同様にどのキャラクターに当てはめるかを考えることもできる。

 ザコ敵も中ボスもラスボスも、仕事に置き換えたらトラブル、対人関係上の問題、エンドユーザーからのクレーム、取引先からのクレーム、と考えると、クリアするためにどんな武器と防具と魔法とアビリティが必要なのか、考えちゃえばいい。どんなにゲームが得意で詳しくても、仕事ができない人間はずっと仕事ができないまま。どんなことも「活かす思考」が働くようになれば、勝手に使える情報が自分のところに届くようになるし、意識が向くようになる。

 檻から出ろっ!!

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